チュン……チュン……チュン……
「ん……ッ」
窓から差し込む朝日の眩い輝きに、無意識に腕でひさしを作る。覚醒間際のはっきりしない意識が更なる睡眠を要求し、疲労に悲鳴を上げる肉体がそれに賛同した。
―――ん……裕樹くんの朝ご飯……作らない……と……
愛する家族への想いが、責任感の強いメイの精神が、甘美な睡眠への誘惑を振り払い、ゆっくりと意識が覚醒していく。身体が温かいモノに包まれ、何か硬いモノが自分の頭の下に在ることを知覚し呻いた。
―――え……?
ビクン……ッ!!
薄く開いた視界に飛び込んだ見知らぬ男性の腕に、自分が枕にしていたその腕に鼓動が大きく跳ね上がる。震える手で上半身を支え、ゆっくりと身を起こすと周囲を見回した。自分の傍らで眠る男、千々に濡れ乱れたベッドシーツ、そして意識に蘇る昨晩の陵辱の記憶……
脚の間に感じる。胎奥のヌメリ……散々に注ぎ込まれた男の精の感触がイヤでも昨夜の事実をメイへと突きつける。
「あ……あ……わたし……」
スルリ……
呆然と呟くメイにかけられていた毛布が身体を滑り落ち、隠されていた半身が露わになると更に驚愕の事実が美女を襲った。
―――そ、そんな……なんで……?
ナイトエンジェルの変身が解除されている。全裸だった……自分が好んで着る変身前の服、ワンピースドレスも下着も、男の服と一緒に乱雑にホテルの床に散らばっていた。今のメイはナイトエンジェルへの変身前の姿……朝倉 芽衣だった。
「お目覚めかい………? メイちゃん……」
ビクリ……
かけられた声に身体が大きく震え、弾かれたようにベッドから降りるとホテルの壁に背中をぶつけるように男から身を離すと、咄嗟に引き寄せた毛布で裸身を必死に隠す。
「おいおい……昨日あれだけ熱烈に愛し合ったのにその反応はつれないだろ?」
ニヤニヤと笑いながらベッドに肘を突き、自分を見つめる男をメイは反論も出来ずに呆然と眺めた。立ち上がったことで胎内から零れた精の残滓がドロリと太股を伝い、ふくらはぎまで痕を残して伝い落ちる。
「な……なんで……わたし……?」
声が掠れ言葉がなかなか出てこなかった。エンジェルに変身している間はその力で自分の人間時の姿を同一視できない。魔法界のエンジェルの存在を人々から覆い隠すもっとも有効な力なのだ。それが何故……?
「なんだい? 覚えてないのかい?」
ゆっくりと全裸を隠そうともせずにベッドから降りるとメイに近づき、その震える頤に指をかけて仰がせる。怯え、蒼ざめる天使に視線を合わせ、男は喉を鳴らして笑った。
「あの時、メイちゃんは乱れまくってたからねえ。人間の姿の時のメイちゃんも見たかったからさ。お願いしたのさ……、可愛かったぜぇ? そらもう滅茶苦茶に喘ぎながら「リムーヴシフト」ってよ……ククク」
「そ……そんな……ッ!?」
ガクガクと膝が震える。嘘だと言いたかった。だが、今の格好と全身に残る情事の跡、肌に刻まれた無数の口づけの印がソレを肯定している。
「天使姿のあんたも可愛かったけど、こっちの姿もあんたも凄く良かったねえ。いやもう燃えちまってさ。枯れるかと思っちまったぜ」
げらげらと下品に笑う男、弾かれるように手が動いた。自分を犯し、汚した暴漢の頬が勢い良く鳴る。
「さ、最低……です。貴方は……ッ!!」
辛うじて嗚咽と涙声を堪えた。絶望の使徒に初めて犯された時、今はもう霞の彼方に消えたあの空虚なる時でもこれほどの悲しみを覚えただろうか? 卑劣漢、外道……叫びたいのに言葉が出ない。
「おいおい、あんなにメイちゃんも燃えてたじゃないか……覚えてない? 自分から何度も求め……」
「や、やめてッ! やめて……ください……!!」
ビクリ……思い出したくもない記憶が蘇りメイの心を、大切な想いを、蝕んでいく。
「あっ……!!」
手首を掴まれ引き寄せられた。散々に犯され抜いた足腰は満足に力が入らず、男の胸に飛び込むように抱きとめられる。ファサ……半身を隠していた毛布が滑り落ち、情事の跡が生々しく刻まれた……それでも尚美しいメイの裸身が露になった。
「認めちまいなよ……メイちゃんは俺を求め……受け入れたんだ。気持ちよかったろ……ほらまた濡れて来たぜ……」
「あっ、あっ、や……駄目……です〜! あ、あぁああ……」
クチュクチュ……
足の間に差し入れられた指が、ゆっくりとメイの秘壷を掻き混ぜる。中にまだ残っていた男の精液が掻き出され、そしてそればかりか新たな恥ずかしい雫が奥から奥からあふれ出した。
―――こんな……こんなぁ……
弱々しく首を振りながら、抵抗も出来ずに男の指を受け入れる。デスパイアの媚薬の効果はもう切れているというのに、浅ましい身体は男が与える快楽を嬉々として受け入れていた。
「ほら……メイちゃん……愛してるぜ……」
細い顎が人指し指で掬われて、男の顔を仰がされる。穏やかな快楽の中、その顔がゆっくりと自分の方に降りてくるのを、揺れる瞳で見つめ僅かに逡巡し、何かを覚悟するように静かに瞳が閉じられた。
―――堕ちた……
ニヤリ……ほくそ笑む男がその唇に重ねようとしたその瞬間。白き光の炸裂、無音の爆発が男の視界と意識を埋め尽くした。
―――数日後―――
「なんだかなぁ……」
街中の大通り……一人の男がボリボリと頭を掻く。
「あん? あんだよ……さっきから……」
一緒にダベっていた男たちの一人が苛立つように、胡乱な目をその相手へと向けた。他の数人のアウトローたちも胡散臭げにその男を視線をむける。
「いやぁ、なんか最近さ、こう……もの凄くもったいないことを忘れてる気がしてよ……」
「はぁあん? なに言ってんだよお前……」
顎に指をやりながら考え込む男に周囲はゲラゲラと下品な笑い声を上げる。
「おいおい見ろよ。あの娘、すげえ、よくね?」
集団の一人が指差す先を歩く一人の女性、モデル顔負けの肢体に清楚な白のワンピースドレスを纒い。艶やかな黒髪を颯爽となびかせ歩くその美女に誰しもが見惚れた。道ですれ違えば誰しもが振り返る美しさ、だがそこで終わらないのがこの図々しい男たちだった。
「へいへい、姉ちゃん。おれらと良いことしない?」
「え……? いえ〜でも私は……」
イヤ、というかお前らいつの時代の人間よ? とか小一時間ほど問い詰めたくなるような台詞を並べて詰め寄る男たちに困惑していたその女性が、不意にその男に目を止め驚愕に目を見開いた。
「「あ……っ」」
男と黒髪の美女の目が合い数瞬の間、言葉もなく見つめあう。
怒りとか、戸惑いとか、羞恥とか……美女の視線の中には一瞬、様々な感情が宿っては消えて行き……。また同様に男の方でも何か喉の奥に引っかかっているような違和感に混乱する。
時間にして見れば硬直は結局一瞬、動いたのはその黒髪の美女が先だった。
パシリッ!!
高く乾いた音を立てて鳴り爆ぜる男の頬、そのあまりに唐突な出来事に誰しもがその場で沈黙し、硬直する。
「いろいろ言いたいことはありますけど……いいです。これで許してあげます」
沈黙を破って、麗女はクスリと微笑を浮かべるとその場を立ち去っていった。漆黒の美髪を片手で払い歩み進む女性の口元に浮かぶほんの少しだけ皮肉の交じった笑みの意味を男は生涯知ることはない。
<完>
―――数ヶ月後……?―――
オギィエウウウッ!!
光届かぬ薄暗い裏通りにおぞましい咆哮が響き渡った。ある程度以上の大都市になら大概は存在する荒廃した区画の一角。
大通りを照らすネオンも届かず、陽気な音楽や雑踏も聞こえない。不潔で静寂と薄暗がりが支配する裏通りでその自然ならざる魔物が吼える。
「あ……あ……」
自分以外の犠牲者の血と脳漿が散らばる路地をおびえた男が後退った。異形の魔獣、直立歩行する狼とも熊ともいえないような巨獣に怯え声も出ない。当然だろう。人の恐怖をつかさどる絶対の絶望、その根源に座する魔物が今、自分の前に『死』という変え難い法則を携えて立っているのだから……
ドシュウウウッ……!!
―――死
その絶対不変の決定事項……それが男の目の前でいきなり覆された。目の前に立つ巨獣の腹、ちょうど臍の辺りから生える細い繊手を呆然と見詰める。
異形の魔物の血に塗れたその手が引き抜かれるのと同時だった。巨大な魔物の体が黒い塵のように消え去っていく。
「あ……え……?」
背中側ら魔物を腕でぶち抜き、自分を死より救った相手が遮る壁の存在の消失により姿を見せた。
「ふん……質の悪い魔力ね」
驚くべきことにソレは女性だった。その整った身体のラインの浮き出るラバードレスに身を包み、その両腕を覆うロンググローブも、背に背負うマント黒一色だ。そんなヌメるゴム質の衣装は恥ずかしいほどに開放的で、女性として完成された蠱惑的な肢体を惜しげもなく曝している。
「あら……?」
たった今、目の前で巨獣を屠り去った黒髪の美女がだらしなく腰を抜かしている男にようやく気付いたように目を向けた。琥珀に輝く妖瞳が愉快げに歪められ、その男に視線を合わせるように膝を落とす。
「ひ……っ」
「へぇ……驚いた。あなたと私ってそんなに縁があるのかしら……?」
クスクスと妖艶な笑みを浮かべ、黒い長手袋のしなやかな指を伸ばすと男の頤をそっと撫でた。まるで氷で撫で付けられたかのような冷たい指の感触に背筋がゾッと冷える。これほどの美女に間近で見られていると言うのに恐怖しか感じられない。
「あ……あ……だ、だれだよ?……おまえ……」
まるで自分を知っているかのような黒き魔女の言葉に、男はかすれた声を上げた。知るわけがない。これほどの美女を、そしてこれほどの恐怖を撒き散らす存在を知っていれば忘れるわけがない。
「あら……? ご挨拶ね。私にアレだけ愛しているって囁いてくれたのに……まあ、記憶を消したのは私なんだけど……ねぇ」
クスクスと笑いながら男にとって意味不明の台詞を放つ黒衣の麗女。その冷たい美貌に浮かぶ酷薄な笑みは見る物の魂を恐怖で鷲掴みにして離さない。
なのに? 何故だろうか……その笑みが酷く寂しげで、悲しげで男はどこかでその美女が出会ったことがあるような懐かしい感覚に刹那の時だけとらわれる。
「ま、いいわ。今のでお腹いっぱい……貧弱な人間の魔力ごとき奪ってもたかが知れてるしね。殺してあげようかとも思ったけど、昔くれた素敵な快楽に免じて……見逃してあげるわ」
頤から氷の指を離し、面倒くさそうに青みの掛かった黒髪を掻き上げた。闇を塗り固めたような真黒のマントを翼のように羽ばたかせ、フワリと大地を蹴る。
「じゃあね。もう私と会っちゃ駄目よ?……その時は……クスクス」
ゾクリ……闇に解けるように消えていく漆黒の堕天使の皮肉げな偲び笑いに心臓が凍りつく様な戦慄を覚えた。愛する少年を失って深遠なる絶望の闇に堕ちた天使……後に殺戮の天使(プレデター・エンジェル)と恐れられる絶望の使徒のただの気まぐれだったのか? それともソレが最後の慈悲だったのか?
それは誰にも……悲しくも孤高な堕天使にさえきっと判らない。