愛の騎士エーベルティン
エーベルティンという騎士がいました。
エーベルティンはとても強い騎士でした。たくさんの決闘に勝っていて、他国の騎士からも一目置かれていました。
エーベルティンはとても真面目な騎士でした。他の騎士がやりたがらないような仕事でも、命令ならば従いました。王様は彼の事を心から信頼していました。
エーベルティンはとても勇敢な騎士でした。王様の命令でも、間違っていると思った事は決してやりませんでした。王様が怖くて他の騎士が命令に逆らえないときでも、彼は勇気を出して提言しました。
エーベルティンは騎士の鑑でした。
そんなエーベルティンでしたが、一つだけ苦手なものがありました。
それは、恋をすることです。
騎士にとって、美しい女性とたくさん恋をすることは、一生を通じて求められる事です。
騎士たちは宮廷のパーティで、それぞれお気に入りのご婦人を誘い、恋をしました。
エーベルティンは名のある騎士ですから、パーティでは彼が声をかけなくても、ご婦人の方から言い寄ってきます。
しかし、エーベルティンは誰とも恋をしませんでした。
いいえ、出来ませんでした。
どのご婦人も美しく着飾っていて、とても魅力的なのですが、どうしても恋する気持ちにはなりませんでした。
ある日、エーベルティンは王様の命令で盗賊退治に行きました。
お城から馬で3日かかる山のねぐらに盗賊は七人もいましたが、エーベルティンは全員を剣で斬り殺しました。
エーベルティンは盗賊に奪われたものを取り返そうとねぐらの奥に入っていきました。
すると、数々の宝と一緒に一人のきれいな女の人がいました。
村からさらわれてきたのでしょうか。ひどいことに、その女の人は逃げられないように足の腱を切られてしまっていました。
「可愛そうに。でも、もう大丈夫です」
エーベルティンが話し掛けても、女の人は何もしゃべりません。怯えた様子でエーベルティンを見上げました。
エーベルティンは血に濡れた剣と鎧を脱ぎ捨てました。そして不思議そうに見上げている可愛そうな女の人を抱き上げました。
女の人はびっくりして、暴れました。
「許してほしいとは言わない。でも、私はあなたを救いたい」
女の人はもう暴れませんでした。ただ、黒い瞳でまっすぐにエーベルティンを見つめるだけでした。
女の人は随分弱っていました。エーベルティンは女の人を馬に乗せました。また、剣と鎧は騎士の誇りですので捨てるわけにはいきません。エーベルティンはは鎧を抱えて馬を引きながら走りました。休まずに走りつづけて2日で城に着きました。
城に着くまで、その女の人は何も喋りませんでした。でも、ずっとエーベルティンの背中を見つめていました。
エーベルティンは王様に誉められました。
自分より数が多くても、悪人を背を向けずに立ち向かう事は名誉ある事なのです。
エーベルティンは可愛そうな女の人がお城で暮らしていけるように、王様に頼みました。王様は嫌がりましたが、エーベルティンが何度も頭を下げて頼んだのでしぶしぶ了承しました。
名前を聞いても何も喋らないので、エーベルティンは彼女に名前を贈ることにしました。
しかし、エーベルティンは女の人とあまり付き合ったことが無いので、どんな名前を贈ればよいのかわかりません。
仕方が無いので、エーベルティンはいつも読んでいる本の登場人物の名前を贈る事にしました。
女の人の新しい名前は、ロフェリアです。
ロフェリアはお城の一室で暮らすようになりましたが、足の不自由な彼女は他のご婦人からいい目では見られませんでした。
城の中にはロフェリアのことを悪く言う人たちもたくさんいました。盗賊にさらわれた、汚い娘だと。そういう話を聞くと、エーベルティンはすごく怒って、相手が貴族でも剣で叩いて黙らせました。
ロフェリアはパーティにも出られないので、誰とも喋らずにいつも部屋でしょんぼりとしています。
騎士や貴族の中で、ロフェリアに会いに行く人はいませんでした。やっぱり、みんなはロフェリアのことを好んではいないのでした。
エーベルティンはロフェリアの事を可愛そうに思い、よく部屋を訪ねました。
でも、エーベルティンは女の人にどんな話をすればいいのかわからないので、ずっと黙っているしか出来ませんでした。
けれど、ロフェリアはエーベルティンが部屋に来た時だけは、少しだけ嬉しそうな表情をします。やっぱり何も喋りませんが、じっとエーベルティンのことを見つめます。でも、すぐにロフェリアは辛そうな表情に戻ってしまいます。
エーベルティンはロフェリアにもっと笑って欲しいと思いました。
こんな気持ちになったのは、初めてのことでした。胸が締め付けられるようで、決闘で槍を刺された時よりも痛いほどです。でも、決して嫌な気持ちではありませんでした。
これが恋の痛みというものなのでしょうか。
きっと、ロフェリアが喜んでくれたら、もっといい気持ちになれるのだろう。エーベルティンはそう思いました。
でも、エーベルティンは女の人とお付き合いするのは初めてだったので、どうすればロフェリアに喜んで貰えるのかわかりませんでした。
エーベルティンは名のある騎士なので、お城の中にたくさんの知り合いがいます。
エーベルティンはお城の騎士たちに女の人との付き合い方について訪ねて回りました。
一人の騎士が言いました。
「女は強い男が好きなのさ。お前は確かに強いけれど、闘技場のチャンピオンよりは弱いだろう。もし闘技場のチャンピオンに勝てたら、どんな女だってお前のことが好きになるさ」
エーベルティンはすぐに闘技場に向かいました。本当は城にいる騎士は闘技場で戦ってはいけないという決まりがあるのですが、エーベルティンは王様に頼んで戦わせてもらいました。
闘技場のチャンピオンはまるで獅子のような男でした。チャンピオンは恐ろしい声で言いました。
「おい、華々しい騎士よ。俺はお前と違ってずっと生きる為に戦ってきた。この闘技場で命を賭けて戦ってきたのだ。お前みたいに城のなかでのうのうと生きてきた奴に負けるはずがない」
エーベルティンは言いました。
「確かに私はお前より楽な人生を歩んできたかもしれない。だが、私には大切な人がいて、私はその人の為に命を賭けて戦っているのだ。お前に負けるわけにはいかない」
チャンピオンは戦斧や鉄矛を振り回してエーベルティンと戦いました。
エーベルティンは体じゅう傷だらけになりましたが、最後には剣で相手を斬り殺しました。
エーベルティンは王様に誉められました。
騎士にとって決闘に勝つ事はすごく名誉な事なのです。
エーベルティンは急いでロフェリアのところに行きました。そして、勝利の証であるメダルを贈りました。ロフェリアは何も喋らずに、ずっと傷だらけのエーベルティンを見つめました。なんだか嬉しそうではありませんでした。
エーベルティンは、これではいけないと思いました。そして、今度は貴族達に女の人との付き合い方について聞いてまわりました。
一人の貴族が言いました。
「花だよ。女というのは花が好きなのさ。白の谷に咲いているゆりを取ってきてあげなよ。きっと喜ぶよ」
騎士の話を聞いて、すぐさまエーベルティンはお礼を言って白の谷に向かいました。
でも、この話はそれで終りではありませんでした。白の谷には竜が住み着いていて、ゆりの花を守っているのです。そのことを聞く前に、エーベルティンは行ってしまいました。
野を越え山を越え、エーベルティンは白の谷に着きました。
確かに、聞いた事も無いような美しい真っ白なゆりが一本だけ咲いていました。そして、そのゆりの前に山のように大きな竜が寝そべっていました。
エーベルティンがそっとゆりを引き抜こうとすると、竜が起き上がって言いました。
「騎士よ、そのゆりの花は私が大切に守ってきたものだ。私の母が大好きだった花の、最後の一本なのだ。お願いだ、それを抜くのはやめてくれ」
エーベルティンは言いました。
「竜よ、これがお前にとって特別なものだというのはわかった。だが、私にとって特別な人もこのゆりを欲しがっている。お前の言う事を聞いてやる事は出来ない」
すると、竜はすごく腹を立てて、炎を吐いてエーベルティンに襲いかかりました。エーベルティンはひどい火傷を負いましたが、最後には剣で竜を斬り殺しました。
そして、竜の血で紅く濡れてしまったゆりの花を持って城に帰りました。
城に着いて、エーベルティンは王様に誉められました。騎士にとって竜を倒す事はすごく名誉なことなのです。
エーベルティンは急いでロフェリアのところに行きました。そして血まみれのゆりをロフェリアに渡しました。ロフェリアは何も喋らずにじっと火傷だらけのエーベルティンを見つめました。なんだか、嬉しそうではありませんでした。
エーベルティンは困り果てました。
その時、お城には王様に招かれて一人の吟遊詩人が来ていました。
吟遊詩人はエーベルティンに言いました。
「貴婦人方はきれいな詩がお好きなのです。騎士さまは武勇にはすぐれていらっしゃるけれど、詩に関しては僕たち詩人の方が優れています」
エーベルティンは吟遊詩人たちの中に混じって、毎日詩の勉強をしました。
これは、思ったよりも辛い事でした。ずっと剣を振って生きてきたエーベルティンにとって、芸術というものはさっぱりわからなかったからです。
吟遊詩人は言いました。
「やっぱり騎士様にはおわかりになりませんか? 詩を作るのには才能がいります。諦めた方が良いかもしれませんね」
エーベルティンは言いました。
「私には才能がないかもしれない。けれども、私はどうしても諦める事はできない。どうか私にもわかるように説明してくれないか。いや、説明してください。お願いします」
エーベルティンは騎士の誇りをかなぐり捨てて頭を下げました。
吟遊詩人は本気で詩を教える事にしました。エーベルティンは寝る間も惜しんで勉強しました。
毎日詩の勉強ばかりしていたので、エーベルティンはロフェリアの部屋にいけなくなってしまいました。
でも、諦めずにしっかり勉強したので、エーベルティンはお城の中でも一番詩が上手になっていました。
エーベルティンは王様に誉められました。
本当の騎士と言うのは武勇だけでなく芸術にも優れていなければならない、とされていたからです。
しかし、エーベルティンにとってはそんな事はどうでもいい事です。
エーベルティンにとって大事なのはロフェリアだけなのです。
エーベルティンは久しぶりにロフェリアの部屋に行きました。もちろん、立派で美しい詩をいくつも作ってから行きました。
ロフェリアは、なんだかやつれているようでしたが、エーベルティンが部屋に入ると嬉しそうな表情をしました。
エーベルティンも喜んで、詩を歌いましたが、ロフェリアはあまり興味が無いようでした。やっぱり、悲しそうな表情で詩を聞いていました。
エーベルティンは悩みました。どうすればロフェリアが喜んでくれるのか、それだけを考えました。そうしていると胸が痛んで眠れませんでした。
闘技場で勝ち、竜を倒し、美しい詩を詠む騎士エーベルティンを倒して名をあげようと、たくさんの騎士達が世界中から集まってきました。
毎日のように決闘が行われ、そのことごとくをエーベルティンは剣で斬り殺しました。
王様はエーベルティンを誉めました。
エーベルティンは名実ともに最高の騎士として皆に認められました。
でも、ロフェリアは全然喜んでくれませんでした。
ある日、エーベルティンは王様に呼ばれました。
「エーベルティンよ、お前は今までよく頑張ってきた。お前のことは国中だれでも知っているし、誰もが尊敬している。お前ほど名誉に満ち溢れた騎士は他にはいない。お前を私の娘の結婚相手としたいのだが、どうだろうか」
王様の娘、つまり王女様はとても優しくて、花のように可愛らしいお方です。王女様はみんなの憧れでした。
エーベルティンは言いました。
「私は皆に尊敬してもらいたくて頑張ってきたのではありません。もちろん、王女様と結婚するために頑張ってきたわけでもありません」
王様はびっくりしました。
「エーベルティンよ、娘と結婚したらこの国はいずれお前のものになるのだぞ? それでもお前は私の言う事を聞かないのか」
エーベルティンはこう答えました。
「王様、私はこの国が欲しくて頑張ってきたわけではありません」
「では何が欲しいのだ? なんでも言ってみるがいい。このわしに手に入らないものなどないのだから」
「何が欲しいと言うわけではありません。王様、これはもう決めた事なのです。申し訳ありませんがこの話は無かった事にしてください」
王様は文句を言おうと思いましたが、エーベルティンの目が怖いくらいに本気だったので言えませんでした。
エーベルティンはそのままロフェリアの部屋に向かいました。
すると、ロフェリアの部屋の前に誰かが立っていました。
それはずる賢そうな悪魔でした。
エーベルティンは悪魔を斬り殺そうと剣を抜きましたが、悪魔はこう言いました。
「騎士様、騎士様。あんたはさっき王様に一つだけ嘘をついたね」
エーベルティンは言いました。
「私は王様に嘘などついていない。騎士の誇りにかけて主君を欺くような事は決してしていない」
すると、悪魔はあくびをしながら言いました。
「騎士様、騎士様。確かにあんたは王様を騙しちゃいないさ。だけど、自分を騙しているんだよ。あんたが本当に欲しいものは別にあるのさ」
エーベルティンは言いました。
「私には欲しいものなど無い。ただ、ロフェリアに喜んで欲しいだけだ」
悪魔はいやらしい笑みを浮かべていいました。
「騎士様、騎士様。それは違うね。あんたが欲しいのはあの女の『愛』なのさ」
「『愛』?」
エーベルティンは思い出しました。勉強中に吟遊詩人が言っていたことを。
「僕たち吟遊詩人は世界中の貴婦人に恋をします。騎士や貴族はどれだけ多くのご婦人と恋をなさったかを競い合います。でもあなたは違う。あなたはきっと誰かを愛していらっしゃるのですね。それも、すごく真剣に、たった一人だけを」
その時、エーベルティンは吟遊詩人の鋭い指摘に驚きました。それに何故か胸が熱くて火照ってしまいました。
悪魔はエーベルティンの表情を見て、わざとらしく頷きました。
「そうさ。あんたはあの女の『愛』が欲しくて頑張ってきたんだ。だけど残念、それはもう手に入らない。何故ならあの女には愛する心がないからさ。盗賊たちに酷い事をされ続けて、『愛』がからっぽになってしまってるのさ。だからあんたがどんなに頑張ったって、あの女はお前を満足させてくれる事はない」
エーベルティンは怒りました。
「黙れ、悪魔め。ロフェリアを侮辱するものはこの私が許さない。この場で斬り殺してやる」
悪魔は面倒くさそうに手を振りました。
「待ちなよ騎士様。はっきり言ってあんたは相当イケてるよ。その証拠に城中の女から言い寄られてるじゃないか。おいらも女だったら絶対惚れてるね。でもロフェリアはあんたを愛する事は無い。神さまも憎いことをするよねえ。でも、おいらは神さまなんて大っ嫌いなんだ。そこでおいらが特別に『愛』をプレゼントしてやるよ。これは地獄に堕ちてきた盗賊が持っていた、正真正銘あの女の『愛』だ」
悪魔はきらきらと紅く光る、宝石のようなものを取り出してみせました。
「騎士様、あんた言ったよねえ。誉められる為に頑張ってきたんじゃないって。だったら、あんたが頑張って集めてきたその『名誉』とこの『愛』を交換してやるよ。どうだい、悪い話じゃないだろう?」
エーベルティンはすぐに答えました。
「私は悪魔の言う事など信じない。だが、今の私にとって名誉など何の意味も無いものだ。持っていくがいい」
悪魔はしたり顔で笑いました。
「じゃあ、決まりだ。おいらも悪魔としての決まりがあるんでね、あんたがいらないと言ってもこれは渡しとくよ。あの女の胸に押し付ければ、あの女は愛を取り戻すはずさ。でも、忘れちゃ駄目だぜ、これであんたは明日からなんの名誉も無い、ただのエーベルティンだ。ひひひ……」
エーベルティンは下品な笑いを続ける悪魔を斬り殺してやろうかと思いましたが、やめておきました。
エーベルティンはロフェリアの部屋に入ろうとしましたが、その日はもう遅いのでやめておきました。
その夜、エーベルティンは少しも眠れませんでした。
翌日、エーベルティンは城を叩き出されました。
王様も貴族も騎士もエーベルティンのことをゴミでも見るかのような目で見ました。
「お前のような不出来な輩を城に置いておくことはできない。さっさと出て行け!」
「ああ、汚らしい。どこの馬の骨とも知れないものと一緒の城に住んでいたなんて!」
名誉を失った騎士は名誉の無い騎士よりもよっぽど忌み嫌われるのです。
エーベルティンは名誉を失っても構わないと思っていましたが、こうなるとやっぱり悲しくなってしまいました。
エーベルティンはロフェリアに会いに行こうとしましたが、衛兵に止められました。
「下賎者め。命のあるうちに城から出て行くがいい!」
エーベルティンは言いました。
「この先に私の大事な人がいるのだ。通して貰えないだろうか」
しかし、衛兵は通してくれません。エーベルティンは残念そうに城を出ました。
城の外からロフェリアの部屋を見上げると、窓が開いてロフェリアが姿を現しました
ロフェリアが目を落とすと、エーベルティンと目が合いました。
エーベルティンはロフェリアを。
ロフェリアはエーベルティンを。
それぞれ、無言でじっと見つめあいました。
エーベルティンはもうどうしようもなくなって、壁を登ってロフェリアに会いに行こうとしました。でも、鎧と剣が重くて壁を上れません。
エーベルティンは鎧と剣を脱ぎ捨てました。鎧も剣も凄く重いものでしたが、エーベルティンはそれ以上に身が軽くなった気がしました。
壁を登っていく途中で、エーベルティンは衛兵に見つかりました。衛兵は弓をつがえてエーベルティンを射殺そうとしました。鎧が無いので矢はエーベルティンに突き刺さりましたが、痛みを堪えてエーベルティンは壁を登りつづけました。
なんとかたどり着いたロフェリアの部屋には重い鎧で身を包んだ鉄甲兵が待ち構えていました。
エーベルティンは戦おうとしましたが、剣が無いので勝負にもなりません。逆に鉄甲兵に槌で打ち据えられてしまいました。悪魔から手に入れた宝石がころころと転がって、ロフェリアの足元で止まりました。
ロフェリアは部屋の隅から、傷ついていくエーベルティンを黙ってじっと見ています。
少しも目を逸らさずに、黒い瞳で、じっと。
エーベルティンは息も絶え絶えに、ロフェリアに声をかけました
「ロフェリア、ロフェリア。ああ、ロフェリアよ。私は君の為だけを思って頑張ってきた。君を喜ばせてやりたくて。でも、君は結局笑ってはくれなかった。私のやり方がいけなかったのだろうか。ああ、ロフェリア。私がただひとり愛するひとよ。せめてその宝石だけでも受け取ってくれ」
ロフェリアは足元に転がっている宝石を見ました。石ころでも見るかのような様子で、全く興味が無いようでした。
ロフェリアはすぐに視線をエーベルティンに移しました。
エーベルティンは嘆きました。
「ああ、ロフェリア。やはり私の贈り物など受け取ってはくれないか。全てを賭けて、全てを失った愚かな騎士の贈り物など、その眼には映らないか。ああ、ロフェリアよ」
ロフェリアはやはり何も言わずに、じっとエーベルティンを見つめていました。何だか悲しそうで、今にでも泣き出してしまいそうな様子でした。
鉄甲兵は槌でエーベルティンを叩き殺そうとしました。
最高の騎士と謳われたエーベルティンも、絶体絶命です。
輝かしい名誉を失い、身を守る鎧も失い、相手を倒す剣も失い、そして今命を失おうとしていました。
その時、ロフェリアが初めて声を出しました。
それは酷い声でした。なんとか自分の意思を伝えようとしていることがわかる程度の声でした。
「えーべるてぃん、ろふぇりあ、いっしょ」
鉄甲兵は慄きました。それは獣の呻きだったからです。
でも、エーベルティンにとってはどんな歌姫の美声よりも麗しく響きました。
ロフェリアは吐き出すように告白を続けました。
「えーべるてぃん、かなしい。ろふぇりあ、かなしい。えーべるてぃん、うれしい。ろふぇりあ、うれしい」
エーベルティンは立ち上がりました。痛みを越える激情が今の彼を突き動かしていました。
鉄甲兵は鋼の篭手でエーベルティンを殴りつけましたが、エーベルティンはまったく無視しました。
「えーべるてぃん、いたい。ろふぇりあ、いたい」
エーベルティンはただ立ち尽くし、愛する人の声に耳を傾けました。
「えーべるてぃん、がんばる。ろふぇりあ、がんばる」
ロフェリアは腱の切れている足で、頑張って歩み寄ろうとしました。ロフェリアは力と勇気を振り絞って言葉を続けました。
「えーべるてぃんは、きしさま。ろふぇりあは、ただの、ろふぇりあ。なまえもらって、ずっと、ろふぇりあ。えーべるてぃん、わからなかった。ずっと、ずっと、わからなかった」
ロフェリアはふらふらと四つんばいでエーベルティンに近づきました。
「でも、いまのえーべるてぃんは、えーべるてぃん。ろふぇりあ、いっしょ」
エーベルティンは傷だらけの腕でロフェリアを抱き上げました。
やせ細ったロフェリアの身体は、今のエーベルティンにとっては重く感じられました。
「えーべるてぃん、すき。ろふぇりあ、……すき」
二人は抱きしめあいました。
鉄甲兵はあっけにとられていましたが、いつの間にか転がってきていた宝石に転んで立ち上がれなくなりました。
エーベルティンは城を去りました。
全てを失って、でもロフェリアだけはしっかりとその手に抱いて。
二人のその後を知る人はいません。
でも、吟遊詩人が美しい詩を作ったのでエーベルティンの名は世界中に知れ渡りました。
ただし、最高の騎士としてではありません。
愛の騎士。
それがエーベルティンの新しい名前です。
「愛の騎士エーベルティンですか……ちぇっ、儲け損なっちゃったよ」
その日の仕事を終えた吟遊詩人は、残念そうに、でもどことなく嬉しそうに紅い宝石を投げ捨てました。