聖天使ユミエルアナザーストーリー
影魔騎士団編
第一話 ルイン・オーバーチュア 中編

 御座市を襲った大破壊はビジネス街にも甚大な被害を与え、多くの高層ビルは完全に破壊され御座市の経済は完全に麻痺していた。
 その中で唯一無事だったのがMIKURAビルだ。かつては天宮財閥本社が持ちビルとして使っていたのだが、東京及び世界に進出するに当たって本社を東京に移転し、今は御座市で活動する系列会社たちが入っている。
 数ある高層ビルの中でも一際高く目立っていたのだが、全てが破壊されてしまった今となって、その天を衝く威容は御座市復興のシンボルとして市民の希望となっていた。
 最上階には天宮財閥の呼びかけでスタートした御座市再生プロジェクトの事務所が備えられ、その最高責任者には天宮財閥時期総帥である天宮クロウが就任していた。
 求められることは多く出来ることは少ない。若き救世主の双肩に圧し掛かる重圧は相当なものだ。
 今日も朝からオフィスに篭って書類と格闘する。市民からの要望全てに応えられるほど予算も人もない。だから直接復興に繋がるものだけを重点的に進めていく。
 ろくに休息を取っていないのだろう。男ですら見惚れるほどの美しい面差しには疲労の色が濃い。肩まで届く金髪は解れ、知性を感じさせる碧眼もはっきりと隈が浮かんでいる。
「うふふ、ばっかみたい。いずれ壊してしまうのに形の上だけでも元に戻そうとするなんて。あなたって本当にわけがわからないわね」
 幼い少女の嘲笑とともにクロウの背中に何かが圧し掛かる。病的に白い繊手が後ろからクロウの首に絡まり、鋭い爪が頬に赤い筋を作った。
「姫様、今は仕事中なのでお戯れはご遠慮ください」
 さして驚いた様子もなくクロウは絡みついた腕を解く。椅子を回して背後に向き直ると、漆黒のワンピースに身を包んだ魔性の少女――オメガエクリプスが剥れていた。
「わたしに人間の都合を考えろって? 馬鹿を言うにもほどがあるわよ、レイヴンエクリプス」
「人間の都合はどうでもいいのですよ。ただ私の都合を考えてもらいたいだけで。お力が戻るまでは大人しくしているのが賢明かと」
 全エクリプスの頂上に君臨する影魔姫に対して傲岸不遜な態度をとるクロウ。椅子から立ち上がったその背には黒翼が広がり、影魔騎士団団長であるレイヴンエクリプスの姿を露わにした。
「……力が戻ったとき一番に殺すのはお姉ちゃんって決めてたけど、たった今からあなたに変更するわ。その澄ました顔を惨めな泣き顔に変えてから、生きたまま挽肉にしてあげる」
 オメガエクリプスの影から無数の触手が湧き出したか思うと、一斉にレイヴンエクリプスに巻きつき締め上げる。
 美貌のエクリプスの姿は醜い幾本もの触手に埋もれてしまい、僅かに飛び出た黒い翼が力なく垂れ下がるのみ。
「ほらほら、命乞いでもしたらどう? それともカエルみたいな間抜け声しか出せないのかな?」
 不忠の臣の生殺与奪権を握ったことで嗜虐の哄笑をあげる魔少女。だが自分の意思とは関係なく触手の動きが止まったことで笑いが途切れた。
「ですからお戯れはご遠慮くださいと」
 少しくぐもった声が触手の下から漏れ聞こえたと同時に内側から一気に吹き飛んだ。肉片と汚液がオフィス内に飛び散るなか、レイヴンは何事も無かったかのように傷一つ負っていなかった。
「ちぇっ、いつもなら楽にぶち殺せるはずだっただけどなぁ。全然本調子じゃないや」
 オメガエクリプスはちろりと舌を出して粉砕された触手をしまう。まったく悪びれた様子のない態度だったがレイヴンは特に気にした風も無い。
「気長に待つのが一番です。その間、天使達の相手は私達が務めますゆえ」
「そうはいってもわたし暇なんだよ? お城のほうにいっぱい玩具が置いてあったけどさ、もう飽きちゃった」
 小さな影魔のプリンセスは先ほどまでクロウが座っていた椅子に勝手に座ると、可愛らしい足をぷらぷらさせながら回して遊び始めた。
 オメガエクリプスの言う玩具とは文字通りの意味ではない。確かにそうした類のものも数多く用意されていたが、ここで言う玩具とは彼女の嗜虐趣味を満たすための存在――つまりは肉玩具のことだった。天宮財閥の系列会社から見繕った女子社員を宛がって置いたのだが、さすがに普通の人間では相手が務まらないのも道理だ。
「大切に扱って……と言うのも妙な話ですが。簡単に補充出来るものではないのですから」
「ぶーぶー。お姉ちゃんとかママならすぐに壊れたりしないんだけどなぁ。今度捕まえたらもっとたっぷり遊んであげようっと」
 不満たらたら椅子を回転させる魔姫だったが、机の上に何かを見つけてその瞳が猫のように細められた。
「あれ? あれあれあれれ〜? いいもの見付けちゃった〜」
 椅子をデスク正面で止めると、腕を伸ばして卓上に立てかけられた写真を手に取る。
 写っているのは二人の少女。クロウの妹であるアリスとその幼馴染である美央だ。アリスが美央の部屋に残しておいた写真と同じものが、クロウのデスクの上にも飾ってあったのだ。
「これ、妹さんだよね〜。一緒に写ってる女の子も可愛いなぁ。思わず虐めたくなっちゃうよねぇ」
 写真を眺めながらオメガエクリプスは蕩けた様な表情を見せる。少女達の可憐さが闇の姫君のお眼鏡に適ったらしい。それは外面と内面を同時に評価されたことであるが、決して喜ぶべきことではない。
 なぜなら、
「ねぇ、この子達をわたしにくれないかなぁ。もちろん出来るだけ大切に遊んであげるから。ね、いいでしょ?」
 それは破滅の宣告と同義であるのだから。
 可愛らしい上目遣いでおねだりするオメガエクリプス。手をお行儀良く下に組みしなまで作ったその姿は、見る者の理性を完全に蕩けさせ従属させてしまうだろう。
 だがレイヴンは苦々しい顔のまま首を振った。
「いくら姫様でも彼女達は駄目ですよ。私の可愛い妹達なのですから。もし手を出されるなら覚悟をなさってください」
 言葉の端から滲み出るのは殺意にも似た怒り。人を捨てたはずのエクリプスには在るはずも無い、義憤にも似た感情だった。
「へ〜、ふ〜ん。怖い顔しちゃって。そんなに身内が大切なんだ。エクリプスの癖に人間みたい。んふ。いいわ。出来るだけきょーつけてあ・げ・る。あははははははははははっ!」
 面白くて仕方が無いのか影魔姫の高笑いは止む事無くオフィス内に響き渡る。勝ち誇るオメガエクリプスと渋面のレイヴン。一瞬にして両者の優位が変わり、幼き魔少女は本来の残虐性を存分に表情に出していた。
「だけどね、もしかしたら取り返しのつかないことになっちゃったりして。そうなったらあなたはどんな顔をするのかな? あはははははっ」
 これ見よがしに赤い舌が二人の少女を舐め上げる。力は戻っていなくとも、その酷薄さ邪悪さは全く衰えていない。
 漆黒のエクリプスは歯噛みしながら改めて影魔姫の恐ろしさを思い知った。
 御座市のシンボルのその中で二匹の蛇が互いをも飲み込もうと渦巻いていた。
 ※
 古来より礼拝堂は神の偉大さを感覚的に伝えるためにその設計に様々な工夫を凝らしてきた。たとえば陽光を受けて七色に煌くステンドグラスは、その華やかさで人を惹きつけるとともに宗教画としての役割も持つ。聖書の一場面を描くことにより視覚に訴え、万の言葉を尽くすよりも救世主の神聖さをわからせることが出来る。
「――――――――するとパンはちゃんと全員に行き渡ったのです。これもまた主の奇跡なのでしょうか。足りなかったはずのパンが自然に増えていったというのでしょうか。一般的にはそう考えられています」
 そして高い天井は音響を第一にした構造となっている。説教の声、オルガンや賛美歌を大きく反響させ、音に包まれているような心地にさせるのだ。聴覚は空間把握に重要な位置を占めており、強い残響の中にいるとまるで浮遊しているような感じになる。グレゴリオ聖歌などはその荘厳さもさることながら、声の響きの面でも巧みに計算されており、ホール状の空間で聞くとまるで自分が天上の世界にいるような陶酔感を齎す。
「けれど他の見方もあるのです。実はパンは最初から全員分あったのです。ただ、誰もそれに気づかなかった。何故ならその場にいた人々の荷物の中に僅かな欠片としてあったのです」
 真理の声もまた聖歌と同様の効果を場に与えていた。少し低めの深みのある声は慈母の様な安らぎを持ち、己の心より生まれた言葉は自然な抑揚で語られ聞く者の耳にすんなりと入っていく。
(やっぱりママって凄いなぁ)
 袖に置かれたオルガンの前で、悠美は敬慕を隠さずに母を見つめていた。
 確信に満ちた説教は欺瞞や衒いなど含まれず、誠実な想いだけを相手に伝える。聖書の一説を引用し一人一人に語りかけるように説教をするその姿は、聖母と呼ぶに相応しい神々しさだった。
(本当に天使みたい。わたしもママみたいになれたらいいのに)
 漠然と自分の将来を思い描く。母のようにシスターとして教会で働き、こうして大勢の人の前で教えを説く。
(……むり。むりむりむり。わたしにはできないよぉ)
 自分を母と置き換えただけで悠美の顔が真っ赤に染まる。もともと恥ずかしがりやな少女は衆目を浴びるのが苦手なのだ。
(……ママみたいなシスターはむりかなぁ)
 通常、説教をはじめ表舞台の仕事というものは神父が行うものでシスターはひたすら修道に努めるものなのだが、この礼拝堂にいるのは真理と悠美の母娘だけなのでこれも仕方のないことだろう。
 むしろ彼女達の歩む苦難の道は、それこそが修道と同義として捉えることが出来るだろう。今、説教を受けている人々は皆何かを失った人々だ。
 ある者は家族を、またある者は財産を、ある者はその両方を失っている。強い喪失感はそのまま悲観的なものの見方になり、生きる気力をも奪ってしまう。
 そうした時に支えになるのが神の存在だ。
「その欠片一つ一つはとても小さいものでした。けれどその場にいた人々で合わせていくととてもたくさんのパンとなった。これはこう言い換えられます。一人では自分自身すら助けられないけれど、皆とならば全員を助けることが出来る、と」
 神の最も偉大な御業はその存在そのものにある。見守り、導き、救ってくださるものがいるということ。それがどんなに人々の心を癒してくれることか。
 神を信じたその時にすでにその者は救われているのである。
 だとしたら彼女は今、神を信じることが出来ているのだろうか。
 悠美は礼拝堂の片隅で俯いている少女を見た。
(アリスさん、とっても辛そう)
 祈るように手を組みきつく唇を噛む。それは苦役に服する罪人の様でもあり、また帰らぬものを待ちわびる遺族の様でもあった。
「どうか何もかもを独りで背負い込まないでください。悲しいときもつらいときも主はあなた方とともにおられます。そしてほんの少しでいいからあなたの傍にいる人を労わってあげてください。それがあなた自身をも救うことになるのですから」
 真理の説教はアリスの心にどう響いているのだろうか。彼女は何を思い、そして何を求めてここに来たのだろうか。
――いつか、今日の事を……先輩とシスターにちゃんと聞いてもらいたいですわ。
 あの日のアリスの言葉が蘇る。そして一人の少女とその騎士たる魔犬。
 エクリプスとして目覚めた彼女達はどれほどの絶望に襲われたのだろうか。
 そしてその原因を知るアリスの苦しみもまた相当なもののはずだ。
 受け止めてあげたい。その悲しみも、苦しみも全て。
 アリスの姿がかつて母を殺めて悲嘆に暮れていた自分と重なり、悠美は我が事のように胸が痛んだ。
「最後に、あなた方に神のお導きがありますように、アーメン」
 気がつけば説教は終わりを告げていた。母の視線に気づき慌てて悠美は習い覚えたばかりの後奏曲を弾く。
 オルガンの典雅な調べに送られて被災者達が次々と礼拝堂を後にする。最初、誰もが不安と絶望に満ちていた表情をしていたのに、今は穏やかな笑みがあちらこちらに見えた。
 心の持ち方しだいで状況はいくらでも良くなる。
 改めて母の偉大さが身に染みた娘だった。
 けれどその中にあってアリスはまだ目を伏せたまま席を立つことはない。
 やがて礼拝堂から人は消え、悠美と真理、そしてアリスの三人だけとなる。
 悠美はオルガンの傍を離れるとアリスの隣に腰掛けた。真理もアリスを挟むように悠美の反対側に座った。
「…………羽連先輩。話を聞いてくれますか?」
 震える声でアリスが切り出した。悠美は彼女の手に自分のそれをそっと重ねる。
「聞くよ。全部聞いて受け止めてあげる」
 オメガエクリプスとの過酷な戦いを経て、悠美は明らかに強くなっていた。彼女自身はまったく自覚していなかったが、今の悠美にはある種の強さが感じられる。優しさに根ざしたそのオーラは相手に安堵感を齎す。
 少しだけアリスの肩から力が抜けたような気がした。
「それではお話させていただきます。私の罪を」
 涙に声を詰まらせながら彼女は美央とのことを語り始めた。
 美央と自分が幼馴染であること。自分の両親が美央の家族を破滅させたこと。そのために美央は全てを失ってホームレスになっていること。
 罪深き過去は話すたびに少女の心を深く傷つける。それでもアリスは涙を流しながら最後まで語り終えた。
「よく話してくれたね、アリスさん。今までつらかったんだよね」
 いつの間にかアリスの手が重ねた悠美の手を強く握っていた。悠美もそれに応えて握り返す。
「その美央ちゃんを思う気持ちはきっといつか届くよ。だからその痛みも苦しみも忘れないで。同じ痛みを感じていればきっと救うことが出来るから」
「……うぅ、羽連先輩ぃ」
 感極まったアリスは幼子のように悠美の胸の顔を埋めて咽び泣く。その肩を優しく抱きしめながら悠美は母が子を、姉が妹を慈しむような笑顔を浮かべた。
 戦うだけが救済ではない。人と人の心の繋がりこそ光へ導く最も大きな道なのだ。孤独な戦いを続けていた少女が本当の意味で天使となり始めた、その第一歩だった。
 ※
 礼拝堂でアリスの懺悔を聞いてから、この気高くも脆さを見せる少女のことを悠美は前にも増して好ましく思えた。
 それから数日たった今日、肉じゃがを作ってみたいと言うアリスのために悠美が教えてあげることにした。
「んっ、くっ、なかなか取れませんわね」
「あ〜、たまにこうクニってなっちゃうよね。ちょっと貸してみて」
 筋取りに苦戦するアリスからサヤエンドウを受け取ると、悠美は事も無げに綺麗に抜き取って見せた。
「お見事ですわ。やっぱり普段からしていらっしゃる方は違いますわね。それに比べて私は………………はぁ」
 ため息を付くアリスの視線は手元の俎板に注がれる。そこにあるのは小さく歪な形のジャガイモと、汚い切り口の牛肉といった惨惨たる有様の食材達。
 天恵学園礼拝堂の奥は狭いながらも居住空間になっており、台所にもコンロや給湯設備などがちゃんと備え付けられている。とはいっても本来は宿直用の簡易なものだから一人でもかなり狭い。ましてそこに二人が入るとなるとそうとう窮屈なことになる。だから悠美は口頭でやり方を伝えて、アリスの挑戦を後ろから見守るということにしたのだが。
「わ、わたしだって最初から上手く出来たわけじゃないよ。アリスさんならきっと上手なれるから…………たぶん」
 言ってみたもののアリスの腕前は酷い。いや、そもそも素人以前だ。まさか包丁の持ち方を知らないとまでは思っても見なかった。猫の手など望むべくもなく何度も指を切りそうなって悠美は何度も悲鳴を上げた。
(家事は全部お手伝いさんがしてるって本当なんだ)
 肉じゃがは手順さえ知っていれば非常に簡単な料理なのだが、煮るまでの準備の段階ですでに一時間。先行きが大層不安だ。
「それにしてもどうして急にお料理を習おうと思ったの? 肉じゃがが食べたいならお手伝いさんに作ってもらえば」
 何気なく悠美がそう言うと、途端にアリスの頬が真っ赤に染まった。
「それは、その…………男の人は肉じゃがが美味しく作れる女の子が好きだって聞いたものですから」
 いじらしく人差し指を擦り合わせて答える姿は、恋愛経験のない悠美から見ても恋する乙女そのものだ。
「だから男の人って悠美先輩みたいな人が好きってことですわね。可愛らしくて優しくて、お嫁さんにしたくなるような」
「ええっ? わたし?」
 突然自分の名前を出されて戸惑う悠美。もともとあまり恋愛に関心がなかったし、元来内気で男子ともあまり付き合いもなかった。
 自分が男子達にどう見られているかなどとは殆ど意識したことがない。確かにクラスメイトの劣情に曝されたことや、御座市民に壮絶な輪姦を受けたこともあった。しかしそれはエクリプスの卑劣な罠だったし、何より思い出したくもない過去なので例として出すのは不適切だろう。
「そ、そんなこと……ないと思うけど。むしろアリスさん見たいな綺麗な人の方が好きなんじゃないかな」
 照れながら悠美はお世辞抜きの素直な感想を述べる。自分の子供っぽい外見が気になっている悠美は、凛として気品溢れるアリスの姿に憧憬を感じてしまう。
「いやですわ、悠美先輩。からかわないでくださいませ」
 己の容姿に無自覚な二人は相手の魅力は判っても自分の魅力には気づけず、互いに恥ずかしがって黙りこんでしまう。
「あらあら、まぁまぁ。初々しいわね」
「ま、ママっ?」
 突然現れた聖母は困惑する娘とその友達に慈しみの笑顔を向けた。
「二人ともわたしから見たらどっちも魅力的な女の子よ。人の魅力というのは人の数だけあるものだから、悠美にも天宮さんにもそれぞれの魅力が備わっているの。いつか、その魅力に気づいてくれる素敵な人に出会えると良いわね」
 年長者としての含蓄に満ちた言葉は少女達を勇気付け、かけがえのない青春を謳歌する原動力になる……はずだったのだが。
 少女達は真理の実りに実った乳果を凝視していた。
「悠美先輩。私、男の人って胸の大きな女性が好きって聞きましたわ」
「うん。それはわたしも聞いたことがあるよ……はぁ」
 真理に比べてあまりに小ぶりな胸に目を落とし、悠美とアリスはそろって落胆の色を浮かべた。
「あら? どうして二人ともしょんぼりしちゃったのかしら?」
 自分の魅力に無自覚なのは真理もまた同じようで、自分が年頃の少女達のコンプレックスを殊更に刺激するなどとは夢にも思ってもいないようだ。
 少女達は揃って華奢な我が身を嘆き、聖母は自分の言葉が通じなかった理由が判らず焦り戸惑うばかり。
 肉じゃがが出来上がるまでまだ少し時間がかかりそうだった。

 それから三〇分ほどして肉じゃがは完成した。もともと手軽に出来る料理だから大きな失敗など起きようもなく、それなりに美味しいものが出来た。
 アリス個人としては出来に不満があったのだが、初心者が粋がっても仕方のないことなので今後の研鑽に努める決意を新たにした。
 その後、悠美と談笑したり真理の夕飯をご馳走になったりして、礼拝堂を出る頃にはすっかり日が暮れていた。
 悠美も真理もアリスが一人で帰ることを心配していたが、天恵学園から家までそれほど離れてはいないし、このあたりは治安がいいこともあって迎えを寄越してもらうのはやめた。
「悠美さんもシスターも心配性ですわね。子供じゃないのだから一人で帰れますのに」
 家まで続く一本道にはちゃんと街灯が点いていて、それほど暗さを感じさせることはない。それでもお手伝いさんが心配するだろうと少しばかり急ぎ足になった。
 夏物の淡いブルーのワンピースを通して夜気が肌に染み入る。
 この時間に自分以外で外に出ているものなどいないだろう。大破壊の影響を抜きにしてもこの辺りは閑静な住宅街で人通りなど多いはずもない。
 そう考えると急に細い路地の暗闇が恐ろしく思えてならなかった。光の当たらぬ闇の向こうには得体の知れない怪物が獲物を待ち構えている。
 そんな妄想が脳裏に浮かんだ。
(ば、馬鹿馬鹿しい。いまどき子供でもそんなこと考えませんわ)
 先の大破壊を起こしたものが何者であるのか人々の記憶には残っていない。光と闇の壮絶な最終戦争は、公式には大規模な地盤沈下と局地的な震災の同時発生ということになっている。ただ巷間の他愛ない噂話では、得体の知れない怪物が御座市を蹂躙していたなどと実しやかに囁かれていた。
(美央ちゃんは大丈夫かしら。怪物なんか相手にしたらいくらクロでも守りきれませんわ)
 今もこの街のどこかにいるであろう幼馴染に考えが及ぶ。怪物など与太話だと一笑に付しても、心の奥底では言い知れぬ不安が渦巻いている。
 だからその人影を見たとき、アリスは安堵して肩の力が抜けるのを感じた。全体的に細長いシルエットの男が街灯に持たれて立っている。それがまるで棒を立てかけたみたいだったので少し口元が綻んだ。自分ひとりだけではないと判ると人はこれほど気が楽になるのだろうか。先ほどまでの不安や圧迫感は綺麗に消えてしまい、足取りも軽くアリスは男の前を横切る。
 血に塗れた鎌が街灯の光に刃をぎらつかせた。
「――――っえ?」
 目の錯覚かと思い、立ち止まって振り返る。
 間違いない。男の右手に握られているのは血糊の着いた鎌だ。
「君、さっきは何で笑ったの?」
 抑揚に乏しい沈んだ声が男の唇から漏れ聞こえた。表情の失せた顔の中で目だけが異質な光を湛えてアリスを見ている。
 幽鬼という言葉が容易く連想される明らかに異様な様子だ。
 アリスは息を呑んで一歩後ずさる。この男は危険だと本能が告げる。
「俺のことを笑ってたんだろ。ヘナチンの種無しな俺のことを。お前を抱けない俺のことを笑ってたんだろおっ!」
 突然感情を爆発させて男が鎌を振りかぶる。咄嗟に躱すもワンピースに刃が引っかかり無残にも胸元から引き裂かれた。
「――――ぃっ、ぁ」
 両手で胸を庇うようにして助けを呼ぼうとしたが、舌が喉に張り付いて声が出ない。本当に恐怖したときには悲鳴すら上げられないのだと、アリスは身をもって知った。
(落ち着きなさい、アリス。相手は武器を持っているけれど身のこなしは素人。何も恐れることはありませんわ)
 恐怖で震える身体に心の中で渇を入れる。カチカチとなる歯を思いっきり食い縛る。
「ひひっ、うひひひひひ。こんな時間に出歩く淫売は殺しちゃってもいいよな、なあ」
 奇声とともに男が再び襲い掛かる、だが先ほどと違いアリスは前に躱す。
「っせぇあああああっ!」
 男の襟元と袖を掴むと、その重心を自分の腰の上に移動させて一気に投げを打つ。相手の勢いを利用しての変形の一本背負い。
 受け身が取れぬよう右手を放さなかったため、男はアスファルトに背中を強打した。内臓に響く衝撃に男が苦悶の呻きを上げる。男の手から鎌が落ちてアスファルトに跳ね返った。
 アリスは男の手にその長い脚を掛けると、後ろに倒れこんで引き伸ばす。背負い投げから腕ひしぎへの流れるような移行。
 護身のためにと覚えさせられた柔の技がここに活かされた。
「夜道で女性に襲い掛かるなんてなんたる不埒者っ! しばらく腕が使えないようにして差し上げますわ」
 一八〇度を超えて極められる肘関節。一見やりすぎのようにも見えるが筋を痛める程度には手加減している。丸一日は利き腕の自由が利かなくなるがそれだけで、後は普通の生活に戻れる。迂闊に放して再び鎌を手に取られては元も子もない。放すのはもう少し灸を据えてから、とアリスが思ったときだった。
「どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって。女の癖に、女の癖によぉおおおおおっ!」
「きゃっ!」
 その細い体のどこに秘められていたのか、男は物凄い力で強引に腕を引き戻した。そのまま立ち上がった男のシルエットがぐにゃりと歪み、身体が縦に長く引き伸ばされたかと思うと、カマキリを醜悪にデフォルメした化け物へと変化した。
「な、なんですの? これは」
 最新のSFXも真っ青の異形の出現にアリスは我が目を疑った。大破壊のときに現れたという怪物の話が俄かに現実味を帯びてくる。
「きひ、きひひひひひ。女の癖に調子に乗って。このマンティスエクリプス様が礼儀ってものを教えてやるぜ」
 今度こそ完全に腰が抜けた。逃げろと脳が命令する。けれど身体は完全に竦んで動かない。
 蟷螂の斧と呼ぶにはあまりに巨大な鎌が少女を目掛けて振り下ろされた。
 刹那、一条の光が怪物と少女の間に奔る。
「ぐぎゃあああああっ!」
 血飛沫を上げてマンティスの鎌が両断された。蟷螂怪人といえど苦痛に耐え切れないのか身体を弓なりに反らして絶叫する。再び光が閃き、反対側の鎌も綺麗な切り口を曝して地面に落ちた。
 僅かな時間にあまりに多くのことが起きてアリスの思考は完全に止まってしまった。彼女に出来たことといえば、怪物から彼女を守るように光の翼を広げる神聖麗美な少女に呆然と見惚れるばかり。
(怪物の次は天使……私は夢でも見てるんですの?)
 彼女の常識からかけ離れた光景を俄かに信じろというのが無理な話だ。しかしアリスの意識は明確で、込み上げる恐怖も叩きつけられた殺意も、怪物の荒い呼吸とアスファルトを打つ鮮血も、天使の放つ眩い光輝までも全てが本物だ。
「醜き絶望の影、エクリプス。アリスさんを傷つけることはわたしが許さないわ。覚悟しなさい」
 自分の何倍もの大きさの相手を前にして、少女天使は勇ましく光剣を構える。漲る気魄は直接向けられていないアリスですら身震いするほどで、可憐な聖乙女が同時に強力な戦士であることを物語っていた。
「なるほど、てめえがユミエルか。噂は聞いてるぜ。その白い肌を切り刻んでやりたいところだが、両腕をやられているし、何よりまだ手を出すなって言われてるんでな。ここは退散させてもらうぜ」
 素人目にも判るほどの重傷を負いながら強がりを吐く蟷螂怪人。その身体をいつの間にか燐光が包んでいた。
「まだ手を出すなって……まさか、オメガエクリプスが生きているの?」
 マンティスの台詞が漂わせる黒幕の存在に反応したのか、ユミエルと呼ばれた天使の表情が一層険しいものに変わる。
「ひひ、半分当たりってとこだな。次に会うときは容赦しねえぞ」
 そう言い残してマンティスは虚空に掻き消えた。
「くっ……まだ何も終わってないってことなの? それともこれから始まるのかしら?」
 アリスには今起きていることの全てを理解することは出来なかったが、歯噛みするユミエルの様子から良くない、いや、もしかしたら最悪の事態が待ち受けているかもしれないことが窺えた。
 そこまで考えてからアリスは、自分がまだ命の恩人にお礼を述べていないことに気づく。
「あ、あの……天使様。助けて頂きましてありがとうございます」
「ごめんね、アリスさん。怖い思いを…………って、天使様? わたしのこと?」
 どういうわけかアリスの感謝に天使は意外そうな顔をして固まってしまった。自分の言葉に何か変なところがあっただろうか。
 天使という単語に驚いているから、もしかしたら彼女は天使ではないのかもしれない。白く輝く翼や神々しい美貌は天使のイメージそのままなので、悪魔だというのも何かおかしい気がする。
「ええと、ユミエルさんは天使様ですよね?」
 おずおずと間抜けな質問を切り出してしまうアリス。
「え? あ、うん。天使だよ。そう、わたしは天使」
 問われたユミエルのほうも少しパニック気味に答え、その様子はアリスと同年代の女の子みたいで先ほどの鬼気迫った雰囲気は微塵もない。
 あまりのギャップが可笑しくて思わず笑みがこぼれた。
「アリスさんはわたしが怖くないの? こんな恐ろしい力を持った人間じゃないわたしが」
 アリスの前に返り血で塗れた手袋を翳した天使の声は重く暗い。怖くないかと訊きながらその瞳は恐怖で震えている。
 それが当然だと浮かべた笑みは力なく、胸中の辛さを押し隠せないでいる。
 美しくも勇ましい天使の顔、壊れそうなほど脆く繊細な少女の顔。どちらが本当の彼女なのだろうか。日初めて会うアリスには知りようもない。だからその両方がユミエルなのだろうと思った。
「……暴力を振るう方は嫌いですし、他人を傷つける力はどんなのものでも怖いですわ」
 言いながらアリスは自分の家のことを思う。
 天宮財閥の経済力は彼女にあらゆる充足を与えた。欲しいものは何でも手に入ったし、行きたい所はどこへでも行けた。
 莫大な富とそれが齎す社会的地位がどれほど素晴らしいのかは幼い頃から知っている。同時にその忌まわしい部分も嫌というほど見てきた。財産が増えれば増えるほど、まるで餓鬼のように人はより増やそうと求め続ける。それこそ何を犠牲にしても厭わないほどに。
その最たる例が鈴鳴家への仕打ちだ。
 だからアリスは力を憎む。いや、己の充足のために力で他人を踏みにじるもの全てを憎んでいる。
 それはいかなる美名を以ってしても絶対に許せないことだと。
「けれど、その力の意味を理解してそれでも他人のために使う方は大好きですわ」
 アリスから距離を置こうとする天使を引き止めるように、血塗れた手袋にそっと手を添えた。
 まだ乾き切らない血糊はエナメル質の上でいっそう滑つく。気色悪い感触に思わず顔を顰めそうになるが、その下から伝わるユミエルの温もりが不思議な安らぎを与えてくれた。
「それにこんなに震えている方が怖いはずがありませんわ」
 跪いて手を握る乙女の言葉に、はっとした表情を見せる天使。聖なる戦士の手と翼は僅かではあるが小刻みに震えていた。
 それは彼女が優しいからこその怯え。自分の力が誰かを傷つけてしまう、その痛みを知っている証。
 それを知ってこちらが怖がることはない。むしろ見ず知らずの誰かを救うために危険な戦いに挑む小さな天使の存在を受け止めたいとすら思えた。
「不思議な方ですわ。とても強くて頼もしく感じられますのに、同時にひどく弱く守ってあげたくなりますわ。まるで悠美先輩みたい」
「ええっ? アリスさん、今何て……」
 素っ頓狂な声を上げて再び軽いパニックになるユミエル。しかし天使の正体を知らないアリスはなぜなのかわからない。
「ああ、そうでした。知らなくて当然ですわね。悠美先輩というのは最近出来たお友達ですわ。清楚で可憐な方で、小さくて思わず抱きしめたくなるような雰囲気ですの。それなのにとても優しくて包容力があって、何でも出来てとても頼もしい先輩ですわ。知り合ってから間もないですが私の自慢の先輩ですの。私、あの方のことが大好きですわ」
「……そ、そんなことないよぅ……」
 頬を染め恥ずかしそうに俯いたユミエルの声はアリスには聞こえなかった。
「ですから天使様のことも大好きになれるような気がしますわ」
「……ありがとう、アリスさん。こんなわたしのこと、こんな汚い女の子のことを大好きだって言ってくれて」
 天使の瞳から涙が一滴頬を伝う。小さく羽ばたいた翼から一枚の光の羽が宙を舞い、アリスの胸へと吸い込まれた。
 途端に強烈な眠気がやってきて瞼が強制的に落ちていく。
「わたしもアリスさんのこと大好きだよ」
 その言葉を最後まで聞くことなくアリスの意識は闇に落ちた。
 ※
「……リス、アリス」
 耳慣れた甘く優しい声が深淵から意識を呼び起こす。幼い頃からずっとこの声に呼ばれて朝を迎えていた。
 目を開ければそこには自分に良く似た青年――実兄のクロウの憂い顔があった。
「……ん……あ、おにいさま?」
 自分の今いる状況が判らず呆けた声を出してしまう。おぼろげな記憶の中では自分は悠美達の礼拝堂からの帰り道だったはず。今いるのは自分の部屋のベッドの上。着ているものも青のワンピースから薄桃色のネグリジェに変わっている。
「大丈夫かい? 羽連さんの家を出るときに突然眩暈を起こして倒れたって羽連さんから連絡あったから、ずいぶん心配したよ。まだ寝ていたほうがいい」
 安堵と不安が半分ずつ混ざった表情でクロウが布団を掛けなおした。なんだか申し訳なくてアリスは顔の半分を布団に潜らせてしまう。
 ふと、自分は眩暈を起こしただろうかという疑問が浮かんだ。悠美の所をお暇するときに倒れたと兄は言うが、自分はそのまま暗い家路を歩いていたはずだ。
 だが無理に思い出そうとしても記憶は霞んだままではっきりとしない。
「まったくいつまでも手のかかる妹だね。まだ小さかったころもしょっちゅう熱を出して倒れていたよ」
 そう言いながらクロウが愛しげに妹の頭を優しく撫でる。髪の間を流れていく兄の指を感じて、アリスの鼓動が少し速くなった。今、自分だけに向けられている兄の愛情が誇らしくて、そしてそれがいつまでも続くものではないのが切なくて、布団の中から手を出してそっと兄の袖を掴む。
「ん? 子ども扱いは嫌だったか。すまない。つい昔のことを思い出してしまってから」
 その意味を勘違いした兄が手を止めてしまい、慌ててアリスは子供のように力いっぱい首を振った。
「違いますぅ、お兄様ぁ。もっと、アリスのこと撫でていてください」
 少し鼻にかかった甘えるような声。普段の彼女ならまず出さないであろう媚態。大好きな兄にだけ見せる一人の女の子としての一面だ。
 ただ兄離れできない妹のものではない。明らかにクロウを異性として意識した、恋する乙女の瞳でアリスは兄を見つめる。
「子ども扱いどころかまだまだ子どもだったか。いいよ、好きなだけ撫でてあげよう。そんな可愛いアリスのことが私は大好きだからね」
「えへへ。お兄様に可愛いって、大好きって言われちゃいましたわ」
 子どもっぽく身体を振って喜びを表すアリス。高鳴る心音を聞かれないようにとしっかりと胸の前で手を握り、髪に触れる兄の指に神経を集中させる。
 それが単なる家族愛でしかなくてもアリスにとっては充分だった。
「ねぇ、お兄様。手を握ってくださいますか?」
 おずおずと差し出した手を仕方ないな、という表情でクロウは握った。掌から伝わる兄の温もりはアリスに安らぎと興奮を同時に与えた。
 気がついたら好きになっていた。理由なんてわからない。クロウに比べればどんな男性も色褪せて見えた。この心は彼を愛するためだけにあるとすら思った。
 だから外では兄の名を辱めぬよう努めて気丈に振舞った。周りはアリスをさすがクロウの妹だと褒めてくれた。
 それはとても嬉しくてとても誇らしいこと。だけどそうすればそうするほど兄との距離が離れていくような気がした。クロウには仕事があるし、アリスが自立した女の子だと思えばかまってくれなくなってしまうかもしれない。
だから兄の前ではアリスは甘えん坊で手のかかる妹でいる。いつまでも傍にいて見守って欲しいから。
「とにかくアリスが無事で良かったよ。最近物騒な事件が多いからね」
「……物騒というと怪物とかですか?」
 言ってから何故そんなことが口を突いて出たのか判らなかった。クロウの言う物騒とは災害によって荒廃した人心の類のことだろう。たとえ一部で噂になっているとはいえそんな子どもっぽく信憑性の薄い方へと及んだのか。
「ははは。なるほど、怪物か。アリスはやっぱり子どもだな。そんな噂を信じてしまうなんて」
「べ、別に信じているわけじゃありませんわ。ただちょっとそういう噂が有るというだけで」
 口では否定しながらも何故か怪物のイメージが頭から離れない。窓の外の闇夜を得体の知れない異形たちがうろついている。そんな妄想が浮かんでは消えていく。
 ふと、兄の眼が真剣なものになっていることに気付いた。
「怪物は人の心の奥底に潜んでいる。奴らは深淵から常にこちらを伺い、隙を見せれば一気に飲み込まれてしまう。理解しようと考えるだけ無駄だ。その欲望は残虐で傲慢。人を、世界を滅ぼし尚飽き足らぬ邪悪の化身。光を忌み嫌う異形の影」
「……お兄様?」
 遠い目をして歌うような口調で語る兄の様子に背筋が凍るような思いがした。握る掌の温度が急激に下がったように感じられ、目の前にいる兄が何か別の、アリスが知らない人間になってしまったかのようだ。
 思わずベッドから跳ね起きてクロウの胸に縋り付いた。兄がどこにも行かぬよう強く抱きしめ、確かにここにいると確かめるよう胸に顔を埋めて心臓に耳を当てる。
「ん? どうしたんだい、アリス? やっぱり怪物が怖いのかい?」
 すぐ近くで聞こえる声とその間に耳朶を打つ鼓動。クロウは何も変わらずそこにいた。
 呆れ気味な兄の言葉をアリスは否定できない。
 怖かったからだ。怪物を語る兄がそのまま怪物になってしまいそうだと思ったからだ。
「お兄様、今夜はどこにも行かないでください。ずっとアリスの傍にいて欲しいですの」
 すぐ傍にいるはずの兄がとても遠い。心音を、匂いを確かめるように何度も頬を擦り付ける。
 震える声で哀願する妹を兄は優しく抱きしめると、甘く囁いた耳朶にキスをした。
「ひゃうんっ! お兄様ぁ、今の……」
「大丈夫だよ、アリス。怖がらなくていい。私はどこにもいかないから」
 穏やかな兄の笑顔を見てようやくアリスは安堵する。自分のことを妹としてしか見ていないその顔が今はとても嬉しかった。
 そして約束どおりクロウは朝になるまでずっとアリスの傍にいてくれた。
 ※
 文明というものは栄えれば栄えるほど崩壊したときの傷跡は大きい。古くはボンベイ、最近の例で言えば阪神大震災の神戸やハリケーンによるルイジアナの惨状などは人間社会の脆弱さを露わにした。
 かつての御座市の繁栄を皮肉るような大量の瓦礫の山は一朝一夕では撤去することもできず、影魔から人類への嘲笑のオブジェとして市の大半を埋め尽くす。
 かつて百世帯以上が暮らしていた団地ビル群もまた見る影もなく崩れ落ちていた。御座市の中心部で働くサラリーマンや、その妻である主婦達、そしてそこら中を走り回っては喧騒を齎していた子供たち。昼間であるにもかかわらず、いずれの姿も見つけることは出来ない。
 無人無音の廃墟と化したその場所に、美央は新たな餌場を求めて来ていた。
 最近、クロの態度がよそよそしい。一緒に寝なくなっただけでなく、美央が抱きついたりするのにも抵抗を示すようになった。今日も別行動を取ると言い出し、美央としては寂しいことしきりだ。
 今までこんなことはなかった。ずっと一緒に暮らしてきて喧嘩もしたことがなかったのに、どうしてクロが自分を避けるのか美央には分からなかった。
「クロ、美央に怒ってる?」
 そう訊いてもクロの返事はいつも「そんなことはない」で終わってしまう。だったらどうして美央と離れたがるのか。その返事はいつも曖昧だ。
(この前の餌場のこと……クロは怒ってる)
 美央に思い当たる理由はそれしかない。
 数日前、美央は天使との戦いから逃げ出して貴重な餌場を失ってしまった。それはクロの身を案じてのことだったのだが、野に生きるうえで最も重要な食料を捨てるというのは責められても仕方ない。
(美央、新しい餌場を見つける……クロ、喜ぶ……美央とクロ、仲直り)
 そういうわけで御座市中を捜し歩いてここまで来た。
 尤も完全に住宅地であるこの場所で美央の求めるようなものなど見つかるはずもないのだが、行動範囲が猫の額程度だった美央には俯瞰的な地理感覚があまりない。ここが御座市のどこなのかすら分かっていないのだ。
 結果、迷子になるだろうがそのときはその辺の動物に道を訊けばいいだけだ。だいたいにおいて美央は猫以下のわりと短絡的な思考で生きている。
 今にも崩れそうな不安定な瓦礫の上を軽快な足取りで進んでいく。さして足元に注意しているようなそぶりもなく、時折思いつきで片足ターンをしてみたり、わざわざ崩れやすそうな瓦礫の上に飛び乗ってみたりと第三者から見れば危なっかしいことこの上ない。
卓抜した平衡感覚と身の軽さがあればこそだ。
 そうして瓦礫山の頂上まで来たとき、異様な光景が美央の視界に飛び込んできた。
「な…………に? これ?」
 峠の向こうに見えたのは折り重なるように倒れた人間達だった。着ている物から察するに、どうやら瓦礫を撤去しに来た業者のようだ。
 瓦礫の倒壊で死んだのだろうか。それにしては致命的な外傷は見当たらないし、何より肝心の瓦礫が散らばっていない。ただ一様に苦悶の表情で泡を吹いて絶命している。手には水の入ったペットボトルを握って。
「…………っ毒!」
 容易にたどり着いたその想像はしかし戦慄する分に充分だった。これまでも毒入りの菓子を食べて死んだ仲間たちがいた。駆除、あるいは悪戯目的に食べ物に毒を入れられることがよくある。拾い食いなどしない美央やクロは危険性がないが、他の仲間だとしょっちゅうその辺に落ちているものを食べてしまう。背骨を突き抜けた悪寒に急いで瓦礫を駆け下りた。倒れている人間達に混ざって仲間が犠牲になっていないか探し回る。
(……こんなところには誰もいない……いないはず)
 美央たちの公園からここまでは相当距離がある。だから思い切って遠出している美央以外にこんな場所に来ているはずがないのだ。
 仲間の無事を必死に祈る。
 しかし、最悪の予想は的中してしまった。パワーショベルの下に蹲る茶色い影。
「――――チビっ!」
 仲間のうちで一番小さくて、元気な甘えん坊だったマメシバの男の子。慌てて駆け寄り抱きかかえるも、ぐったりとした身体は冷たくいつものようにか細く泣きながら鼻面を寄せてくることもない。
 死んでいる。
 わざわざ言葉にするまでもなかった。状況を把握するよりも先に悲しみが胸を襲い、美央は自分の体温を分け与えるかのごとく強くチビを抱きしめた。
「おや? おやおやおや? ここにいる人間は全員死んだものと思っていたのだがな」
 少女の黙祷を妨げたのはどこか人を食った男の声だった。顔を上げると目の前に白衣を靡かせた筋肉質の男が立っていた。
「もしかしてその子はお嬢ちゃんの犬かな? だとしたら可哀想だったね」
 男は鎮痛の面持ちだったが、まるで他人の顔を借りてきたようにわざとらしい。中腰に屈み込むと気安く美央の頭を撫でた。
「――――いやっ!」
 品定めをするような気色悪い手つきに怖気が走り、美央はすかさずその手を払い除ける。
「やれやれ、可愛げのないお嬢ちゃんだ。そこの犬みたいに素直だったら多少は可愛がってあげたのに」
 くっくっくっ、と男は喉で笑う。そして次に紡がれた言葉は美央の理性を完全に失わせた。
「何が入っているかも知らないで素直にこの水を飲むんだから。小さな身体が苦しみ悶える様はなかなか興奮し――――ぬおおおおおっ!」
 美央の一撃が男の喉下を狙って放たれる。男は一瞬早く倒れるように避けると、白衣が汚れるのもかまわず転がりながら美央と距離を取った。
「おまえが……おまえがチビを……美央の仲間を殺したっ!」
 一瞬にして形成された黒猫の耳と尾、そして鋭く長い爪。激情に駆られた少女は異形の影へと変身する。
 万物を断つ幼き魔猫、バーストエクリプス。野に生きる獣への憧れが生み出した美央の欲望の形。
「………………絶対に許さない」
 爪刃の切っ先を向けて静かに宣言する。
 この凶器で相手の全てを切り裂いてやろう。腕を、脚を、腹を、顔を。苦痛に呻き、無様に泣いて許しを請うても死ぬまで切り刻んでやる。いや、むしろそうしてもらわなければ困る。絶望を与えよう。仲間が感じた絶望を。自分が感じた絶望を。
 生まれて初めて覚えた殺意は冷ややかで胸に重かった。
「おや? おやおやおや? これは面白い。まさかお嬢ちゃんがお仲間だったとは」
「仲間?」
 エクリプスの殺意を直接向けられたにもかかわらず、男は腰を抜かすどころかむしろ楽しそうな笑みを浮かべた。しかもバーストを仲間だとまで言う。
 訝る美央の眼前でそれは起こった。
 男の影が急激に膨張したかと思うと、まるで生き物のように宿主の身体を一気に包み込んだ。スライム状の粘体の影は次第にその質感を硬質なものへと変化させる。全身を覆うのは黒い外骨格の鎧、そして肩口から伸びるのは巨大な鋏、尾てい骨の延長線上には禍々しい毒針の付いた蠍の尾。身体も二メートルを越す巨体となり、蠍人間と呼ぶに相応しい怪物がそこに出現した。
「私はスコーピオンエクリプス。君と同じ影魔だよ」
 鎌首を擡げた毒針がスコーピオンの抑揚に合わせてゆらゆら揺れる。バーストは背中を丸め這うような姿勢になって敵の動きを警戒した。
「その年でエクリプスになるとはな。よほどの絶望か欲望か。本来なら影魔騎士団に招待するところだが……今となっては後の祭りか」
 言いながら、スコーピオンの口調に落胆の色はない。むしろそこにはこれから起こる戦いへの喜悦が溢れ出ていた。
「動物や人間ばかりで飽きていたところでね。エクリプスにも私の毒は効くのかな?」
 威圧的に鋏が開閉し怪蠍が少女ににじり寄る。しかし、圧倒的な体格差の敵を前にして美央は怯まない。むしろ、男がエクリプスと化したことで、胸の痞えが取れた気さえしていた。
 憎悪に胸を焼かれてもやはり人間を殺すことに強い抵抗がある。こうして人外のものであることを強調してくれれば、そうした迷いは一切吹き飛ぶ。
 相手は血も涙もない化け物だ。仲間の命を奪った憎むべき敵。
 ならば全力を持って屠るべし。
「――――シィッ!」
 全身を使ったダッシュで一気に相手の懐に入り込むと、バーストは必殺の爪撃をスコーピオンの胸元へ叩き込む。
「ぐわあっ!」
 魔猫の爪は甲羅を容易く切り裂き、赤黒い血が噴出した。意外に素早い動きでスコーピオンが僅かに間合いを外したため致命傷にまでは至らなかったが、それでも体力を奪うには充分すぎる一撃だ。
「舐めるなよ! 野良猫風情が!」
 カウンターで蠍の尾がバーストの喉元へと伸びてきた。バーストの動体視力は難なくその攻撃を捉え、背中を大きく反らして躱す。
 その際に後ろ手で空間を引き裂くと、そのまま異空間へと身を潜り込ませた。
 光も音も、温度も湿度もない虚無の空間。上もなく下もなく、判るのは元居た空間との相対的な位置のみ。
 スコーピオンの足元を抜け無防備な背後に回りこむ。相手は気づかない。気づかれるはずもない。死角の中の死角からの攻撃を防ぐ術などありはしない。
 そして再び空間が引き裂かれた。
「おごおっ!」
 背後から現れた美央が巨大蠍の右横を駆け抜ける。脇腹を抉りぬく一撃に溜まらずスコーピオンは膝を着いた。
「まだまだ……チビの苦しみはこんなもんじゃないっ!」
 尻尾をスコーピオンの首に巻きつけると、疾走の勢いを利用して空中へ飛び上がる。蠍怪人の頭上を越えてもう一度背後に回ると、硬い甲羅に覆われた背部を一気に切り裂いた。
「ぎゃあああああっ! ぐぬぅっ……糞猫があっ!」
 毒針の一撃で反撃を試みるもバーストにとっては予想の範囲内だ。身を捻って容易く躱すと、魔爪で時空を断って居空間に隠れた。
 虚無の暗闇の中でバーストは次の攻撃を考える。
 敵の傷は深い。おそらく次の一撃で終わらせられるはずだ。ならば全ての怒りを込めた一撃で葬ってやろう。チビがそうであったように何が起きたかわからないまま。
 そのためにはやはり死角から。相手の背後、それも頭上からが一番だ。まさか二度も後ろから攻撃されるとは思わないだろう。
 闇の中を泳ぐように移動してバーストはその爪を振り被った。
 蠍怪人の背後に出来た裂け目より黒猫影魔が躍り出る。
 瞬間、バーストの右肩に蠍の毒針が突き刺さった。
「え? あ? ――――っぁああああああああああっ!」
 攻撃が読まれたことを疑問に思う間もなく、神経を焼きつくす激しい痛みにバーストは傷口を抑えてのた打ち回る。尾の一撃は骨をも砕いたのか右腕の自由が利かない。傷口はどす黒い色に染まり、その染みがじわじわと広がっていく。立ち上がろうにも膝が笑って崩れ落ち、頭の奥がガンガンと割れるように響く。毒針から注入された毒がバーストの全身を侵しているのだ。
「ふぅ、冷や汗ものだったな。もし今が昼間でなかったら、もしお嬢ちゃんが私の後ろから攻撃してこなかったなら、影で居場所を察知することが出来なかったわけだからな」
 スコーピオンの飄々とした声もどこか遠い。
 朦朧とする意識で、それでも美央は戦う姿勢を崩さない。勝利を確信し近付いてくるスコーピオンに向けて、爪刃の一撃を食らわせようと左腕を振りかぶる。
 しかし、力なき攻撃を受けてやる義理などどこにもない。スコーピオンは易々とバーストの左腕を巨大な鋏で掴むと、そのまま肩関節を外しながら捻り上げた。
「っいぎぃああああああああああっ!」
 このまま腕が引き千切られるのではないかと思うほどの痛みに絶叫する少女エクリプス。有り得ない角度に捩れた腕を見ても現実のことだと認識できない。
 すでに機能を失った右腕もまた鋏に掴まれ、敗北の魔猫はスコーピオンの目の高さまで吊り上げられた。更に両足も怪物の両腕で拘束され、その怪力で無理やり股間を開かされてしまう。
「……ああ、いやぁ……美央のお股、見ちゃだめぇ」
 スパッツ越しとはいえ他人に股を開くことに羞恥を覚え、バーストの頬が紅く染まる。むしろぴっちりと張り付いた黒い生地は未成熟な秘部の形を強調し、裸体以上に蠱惑的な光景といえた。
「さて、おいたをする悪い子にはお仕置きをしないとな」
 蠍の毒針がゆっくりと美央に向けられる。
(……やだぁ、やだよぉ……美央、殺されちゃう……助けて、クロぉ)
 いかに強大な力を手にしたエクリプスといっても、中身はまだ幼い少女だ。迫り来る死を前にして恐怖に震えるその様に、スコーピオンは良いことを思いついたという表情を浮かべた。
「おや? おやおやおや? 怯えているな。そうだろう。誰だって死ぬのは怖いからな。ちなみに直接毒を注入したからな。お嬢ちゃんが死ぬまであと三〇分もないだろうな」
 スコーピオンの毒針がバーストの鼻先を掠め、思わず小さく悲鳴を上げてしまう。
 悔しかった。情けなかった。
 仲間の仇を取るどころか、敗北して捕まり、死の恐怖に震えて助けまで求めてしまう体たらくだ。
 クロがいなければ何も出来ない。そのことを実感し、幼き影魔の心は一層縮こまってしまう。
 このまま自分は毒によって苦しみながら死んでしまうか、鋏で八つ裂きにされてしまうかのどちらかだ。
 だから次の言葉に思わず飛びついてしまった。
「だが、お嬢ちゃんさえ良ければ命を助けてやってもかまわんが。どうかね?」
「ほ、ほんと?」
 美央の食い付きにスコーピオンが邪悪な笑いを浮かべた。残念ながらそれに気づく余裕は今の美央にはない。
 たとえそれが一条しかない光でも、助かる望みあるならばそれに賭けたい。
「…………助けてください…………美央、なんでもするから」
 憎むべき仇敵に涙ながらに哀願する子猫。それがどれだけ無様で惨めな行為であるか判別できるほど大人ではなかった。
「なあに、簡単さ。この毒針はね、解毒液も一緒に出すことが出来るんだ。でも普通にやっても出ないんだ。適度な刺激が必要なのさ」
「…………刺激?」
「そう、たとえばお嬢ちゃんがこいつを舐めてくれるとかね」
 スコーピオンの言葉とともに毒針の形状が変化する。鉤状になっていた先端部分は不恰好な亀のような鈴を縦に引き伸ばしたような奇妙な形になった。
「…………それを舐めれば助けてくれるの?」
 少女の知識はそれが何であるかを類推するにはあまりに幼い。せいぜい、解毒液を出すのにそうした形のほうが都合がいいのだろうかぐらいにしか考えなかった。
「ああ、助けてやるとも。白く濃厚な解毒液をたくさん飲ませてやる。さあ、もう時間がないぞ」
 蠍怪人に促され、バーストは恐る恐る舌を伸ばして先端に触れた。硬い甲羅の質感と生臭い饐えた臭気。
(……苦くてしょっぱい……変な味)
 今まで味わったことのない不快な味だが我慢できないことはない。ちろちろと舌で尾をなぞる。
「ん……にゅぅ……れろっ」
 唾液に塗れた尾が陽光を淫猥に照り返す。巨大な亀頭に対してバーストの舌はあまりに小さく、鈴口の部分しか舐められない。それでも必死に首と舌を動かして満遍なく唾液を塗布していく。
 その頑張りに応えるようにスコーピオンは尾を捻って亀頭の向きを変えた。
「ふにゃあああああっ! …………今のなに?」
 節くれ立った蠍の尾が薄いスパッツ越しに秘肉を擦り上げ、今まで経験したことのない奇妙な感覚がバーストの全身を走りぬけた。
 股間が内側に収縮するような、胸が締め付けられるような不思議なくすぐったさ。不快なのにもう一度味わってみたいという好奇心が頭を擡げてくる。
 それを知ってか知らずか毒尾が盛んに動き始め、スパッツの上から何度も姫割れが押しつぶされる。下着も兼ねた黒布では衝撃を緩和することは望めず、蠍尾の動きにあわせるかのようにバーストは声を上げて身悶えた。
「みゃ、みゃあああああっ! 動いちゃ……ちゅっ……んみゅぅうううううっ……だ、めぇ」
 執拗に繰り返される素股攻撃に処女子猫の幼声に艶が混じる。硬い外骨格に覆われた丸太のような蠍の尾は段々に節くれ、大きく上下に動いてはピッタリと閉じた未熟な秘部を削る。
 その度に下腹部を重い衝撃が突きぬけ、心臓が下に引っ張られるような気持ちになった。
甘えるような呼気の多い鼻にかけた声が自然に漏れ出し、亀頭を舐めることに集中できない。
(ふにゅうぅ……お股、熱くなってる……美央、何か変なのぉ)
 バーストには知る由もないが、スコーピオンの毒針から注入された毒は催淫効果も併せ持つ媚毒だった。エクリプスの強靭な肉体と肩口という微妙な位置だったために回りは悪かったが、それでも快楽を知らぬ未成熟な秘裂は拷問にも等しいはずの苛烈な丸太素股に順応し始めていた。
 ワイシャツの下の小さな蕾は固く隆起して、震動で擦れるたびに甘い電流を発生させる。スパッツの中央部分が次第に黒く変色し、粘ついた水音が奏でられ始めた。しかしバーストは媚毒と人生初の刺激に朦朧として身体の異変に気付けない。いや、たとえ気付けたとしてもまだ幼く知識もない彼女にその意味がわかるだろうか。
 ただ、このままでは亀頭への奉仕に支障が出てしまう。何とか毒尾の動きを止めようとバーストは自らの尻尾を巻きつけた。
 それが大きな失敗だった。
「あにゃあ、しっぽぉ! しっぽ、引っ張らへて……きゅうきゅうするのぉ」
 毒で弱った少女エクリプスの力では力強いグラインドを止められず、逆に敏感な尻尾を強烈に引っ張られてしまう。
 尻尾の根元の神経がざわつき、甘い寂寥感が胸元へ競り上がる。同時に尾てい骨から会陰部にも伝わってぷっくりとした陰唇が僅かに開き始めた。
 下半身を前後から責められる形になり、黒猫少女の幼顔が快楽に善がり泣く。いたいけな容貌が淫らに蕩ける様は背徳的で、半開きの唇から垂れる涎も心なしか粘度が上がっているように見えた。
 舌の動きは完全に止まり、荒く甘い呼吸を繰り返すばかり。このままでは埒が明かぬと見たのか、いきなり巨大な亀頭が小さな桜色の唇に押し込まれた。
「んむぅうううううっ! お、大きいのぉ……はむぅ、うぅ、こんなのお口に入らないのぉ……んぐっ、んぶぅうううううっ!」
 あまりにサイズの違う異物にバーストは苦痛の声を上げて逃れようとする。が、拘束された少女に逃げ場はなく、凄まじい力で亀頭が口内を蹂躙していく。
 苦く青臭い恥垢に吐きそうになるも構わず怒張は侵入を続ける。
 鈴口から全体の三分の一のみが入っただけだったが、哀れ、子猫の柔らかなホッペは顎が外れんばかりにパンパンに膨らんでしまった。
 苦痛に涙を浮かべバーストは必死に蠍尾を噛み千切ろうとしたが、限界を超えて開かされた顎は閉まらず、たとえ顎が動いてもバーストの歯では硬い甲羅に太刀打ちできない。
だが、本当の地獄はそこからだった。
「んぐぅうううううっ! んごぉっ! うぶっ! んむぅううううううっ!」
 柔らかく温かいバーストの口内を存分に楽しもうと、亀頭尾が狭い口腔を破壊せんばかりに暴れ回ったのだ。喉奥を抉られ、舌を押し潰され、内側から突かれた頬肉が亀頭の形に変形する。掻き回された唾液が泡立ち口元の僅かな隙間から零れた。
玩弄され苦悶する少女エクリプスだったが、スコーピオンに同情するような人間性など欠片も残っているはずもなかった。ただその欲望が命ずるままに嬲り尽くし最終的に破壊するだけだ。
「ふむぅ……んぐっ……んんんっ、ぷはあっ! えほっ、えっ……うぇっ」
 バーストの具合を充分に堪能したのか、ようやく巨大亀頭が引き抜かれる。苦痛から開放された黒猫少女は激しく咳き込み、唾液が太い線となって唇と鈴口との間に垂れ下がった。
 だがこれで終わりのはずがない。
 口辱がよほど感じたのか、スコーピオンの鈴口から唾液ではない透明な液体が垂れ始めていた。その先走りをバーストの幼顔へと思い切り擦りつける。
「ふみぃいいいいいっ! そ、そんなに激しく動かしたら……にゃうっ! お股としっぽが、擦れ、て……ふにゃああああああっ! 怖いの怖いのぉっ! 美央、変になっちゃうのぉっ!」
 愉悦に脳を焼かれながら健気にもバーストは、擦り付けられた亀頭に必死で舌を這わせて射精を促す。
 しかし、媚毒に侵され愉悦に火照った身体は持ち主の制御を放れるどころか、逆に刺激を過敏に伝達することで僅かに抵抗を見せる理性をも蕩かそうとする。三方向から徹底的に嬲られ、未知の快楽の前に未熟な身体は限界を迎えようとしていた。
 快楽電流が全神経を焼き尽くし、意識を何度も天高く跳ね上げる。
 硬く太い蠍尾の姫割れへの素股責め、引っ張られた尻尾が更に快楽を増強する。その上顔面汚辱の洗礼を受け、狂ったように嬌声を上げる幼猫少女。
 そしてついにその時が訪れる。
「ふみゃあっ……は、早く、んちゅ……飲ませ、っみゅぅうううううっ……白くて濃いの、はむぅ……美央にいっぱい出し――――っはにゃあああああっ!」
 一際高く大きな声を上げ、バーストは身体を弓なりに反らして何度も痙攣する。魂が身体から打ち上げられたような浮遊感。その直後に急激に肉体に沈み込み、脱力感が支配する。全身の筋肉が弛緩し、膀胱が決壊した。暖かな液体が尿道から漏れ出し、スッパツの黒染みを更に大きくしていく。
「にゃあぁ……美央、お漏らししちゃってりゅ……ぐす、みひゃらめぇ、らめなのぉっ!」
 人前で小水を漏らすという恥辱は年頃の少女の心をひどく傷つけ、バーストは頭を左右に振って泣き出した。
 しかし欲望の権化たるエクリプスを前にして、羞恥に咽ぶことなど許されなかった。巨大な亀頭が再び子猫の小さな口へと捻じ込まれたのだ。
「んぶぅうううううっ!」
 突然のことに目を白黒させる少女エクリプス。
 次の瞬間、尋常ではない量の精液が噴出した。その量と勢いの激しさに、バーストの口は耐え切れず、逆流させて唇から吹きこぼしてしまう。
 穢れを知らぬ無垢な幼顔が白濁を浴びて、淫猥な照りを帯びた。
「んむぅうううううっ! んぐっ、うぶ……っぷぁ、出へりゅ、白いお薬がいっぱい美央のお顔に出へりゅのぉ……うぇえっ、臭くて苦いのぉ」
 無理やり流し込まれる生臭い汚液を、バーストは何度も吐き出しながら飲み干そうとする。大人の飲み物とはいえ、ザーメンジュースの味は子どもの口にはえぐ過ぎた。
 それでも解毒液だと教えられた雄汁を喉を鳴らして飲んでいく。灼熱のザーメンは喉の粘膜を焼き、胃に落ちて胃液に渦巻いた。
 新たな熱源がまたしても快楽のスイッチを押し、脳細胞が機能を止めていく。
「にゃあぁ……あぁ、うぁ」
 媚毒と絶頂で体力が尽き果て、半開きになった口から大量の白濁を零しながら、敗北の猫影魔は意識を手放した。

 バーストが完全に気絶したのを見てスコーピオンはその戒めを解いた。硬いコンクリートの上に投げ出された魔猫は小さく呻いたがそれだけで、呼吸で僅かに胸が上下する以外はぴくりとも動かない。
 気を失ったことで変身も解け、ただの少女である美央の姿に戻っている。
「ふん、所詮はガキか。あっさり達してしまっては面白くないな。この際だから処女も頂いておくか」
 スコーピオンは少女のスパッツに手を掛けると力任せに引き裂く。薄手の黒布はエクリプスの怪力に抗えず無残にも千切れ飛び、乙女の禁断の園を下種な影魔の視線に曝してしまった。
「ほう、これはこれは……」
 ぷっくりとした無毛の白い幼裂にスコーピオンは感嘆の声を上げた。
 明らかに未使用と判るピッタリ閉じた二枚貝。それが先ほどの愛撫で染み出した愛液と小水で照らついている。少女特有のミルク臭と牝臭が混ざり合ったひどく背徳的な芳香が蠍影魔の鼻腔を穿ち、なんとも淫猥な光景に自然と性器が膨張し始めた。
「くく、ユニコのやつを馬鹿にしていたが。これは病み付きになりそうだ」
 少女嗜好の同僚に心の中で詫びを入れ、スコーピオンはまるで腫れ物に触るように美央のワイシャツのボタンを外していく。
 乳房とは名ばかりの起伏のないなだらかな表面に、まるで雪原に咲いた花のような桜色の淡い小さな突起が見えた。
「………………ぁん」
 鋏で軽く摘むと鼻にかかった甘い吐息が漏れる。穢れを知らぬ無垢さの中に確かな女を見つけて、スコーピオンは獣欲が猛り始めるのを感じていた。
 迂闊に触れれば壊れてしまいそうに華奢で繊細な少女。だからこそ欲望のかぎりに穢して壊してしまいたい。
 文字通り死屍累々とした廃墟の只中で怪物である己が無垢な美少女を犯す。
 それは何とも淫らで背徳的だろうか。
 元より殺人が趣味で性欲のほうはあまりなかったスコーピオンだったが、あまりに染まらぬ少女を前にして新たな世界に目覚めていた。
 それは恋にも似た破壊衝動。自分の欲望の全てをぶつけてこの幼い猫影魔を穢しつくしたい。
 折れそうに細い両足を掴むと左右に大きく開く。いつ発射してもおかしくないほど張り詰めた怒張を、清らかな処女膣にそっと宛がった。
「はぁはぁ、まさか私がここまで心をかき乱されるとはな。決めたぞ、お嬢ちゃんを私専用の肉奴隷にしてやろう。そして昼も夜も忘れて淫欲に溺れようじゃないか」
「そんなことが許されると思うか。汚らわしい化け物が」
 スコーピオンが腰を前に突き出し美央の純潔が奪われかけた瞬間、蠍怪人の背後から怒りに満ちた声が制止した。
「なっ! 貴様、何ものだっ! 邪魔するとぶっ殺すぞ!」
 情事に割り込まれた気まずさと驚きに声を荒げて振り向くと、凄まじい殺気を放ちながら紅の巨犬が唸っていた。
「それは俺の台詞だ。俺の美央に手を出して生きていられると思うなよ!」
 言うなり魔犬が全体重を掛けて突っ込んでくる。
「返り討ちにしてやる。野良犬野郎が!」
 直線的な敵の攻撃にカウンターで毒針を合わせようと試みる。しかし、
「遅いっ!」
 巨大な顎が瞬時に尾に噛み付くと凄まじい力で蠍怪人を振り回した。残像が見えるほどの勢いで何度も地面に叩きつけられるスコーピオン。硬い甲羅に覆われてもその衝撃は防ぐことが出来ず、内蔵が攪拌され地獄の苦しみに悶絶する。
 そして遠心力を利用して空高く投げ飛ばされた。間髪置かず謎の犬型エクリプスも跳躍すると猛烈な横回転を始める。
「死んで償え! トルネードファング!」
 飛翔能力を持たないエクリプスにとってはまさに死に体。紅い竜巻と化した魔犬に牙に右半身を抉られ、スコーピオンは絶命した。

 美央を陵辱しようとしたエクリプスを空中で撃破したガルムは、再び大地に降り立つと変身を解いて元のクロの姿に戻る。
 そしてすぐさま美央に駆け寄ろうとしてその足を止めた。
「この匂い……何故だ? 何故お前がここにいる、天宮クロウ!」
 いつの間にこの場に現れたというのか。ぐったりとした美央を抱きかかえているのはかつて鈴鳴家に良く出入りし、美央が兄同然に慕っていた天宮一族の御曹司、クロウその人ではないか。
「久しぶりだね、クロ。ずいぶん大きくなって見違えたよ。最後にあったのは五年も前だったから」
 言いながらクロウは彫刻のような細く長い指で美央の頭を撫でた。実の妹を労わる兄のように優しい手つきで髪にこびり付いたザーメンを拭っていく。
「今すぐ美央から離れろ。お前達天宮一族が傍にいると思うだけで吐き気がする」
 牙をむいて威嚇するもクロウは意に介する様子もない。むしろ怒りと侮蔑の表情を浮かべクロを睨み付け、その眼光の鋭さにクロは思わず怯む。
「ナイトを気取るならまずその劣情を捨てたまえ。犬の癖にそんなに人間が恋しいか」
「っ! どうしてそれを?」
「嫉妬したのだろう、あのエクリプスに。同じことを、いや、もっと激しく獣欲を満たしたいと。この子を穢していいのは自分だけだと……まさにケダモノだな」
 犬影魔の誰も知らぬはずの胸中を正確に言い当てる青年。事実であるがゆえにその言葉は忠犬の心を深く抉る。
「そんなやつに美央を……私の妹を任せるわけにはいかない。償いも兼ねて私が引き取ることにしよう」
 美央を抱いたクロウの体が燐光に包まれる。その様はまるで乙女に祝福を与える天使のようで、近寄りがたいまでの神聖さを感じさせた。
「ま、待てっ! 美央を連れて行くな!」
 もう永遠に会えなくなるのではないか。そんな恐怖がクロの身体を突き動かした。しかし、何もかもがすでに遅かった。
 クロの牙が青年の手に届くより一瞬早く、美央とクロウはこの場から忽然と消えてしまった。
「君はもう二度と美央に近づくな」
 その言葉だけを残して。
 せめてもの美央との繋がりを求めクロは必死で嗅覚を働かせるが、あの甘く切ない体臭の残り香すらも感じられない。
 最も大切な存在との突然の別れは心に風穴を開け、ひどい脱力感に襲われる。
 何をすれば良いのか判らなかった。何を思えばいいのかも判らなかった。
 茶色いチビの亡骸が僅かな風に毛だけを動かして横たわる。今の自分は死体と同じようなものだ。
 そっと鼻を寄せれば微かに美央の香りがした。

 

 

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