「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
俺は、逃げるようにいつもの路地裏に駆け込んだ。まぁ、実際ここまで来たら逃げる必要なんてないんだが……いつもの習慣ってヤツだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……へ、へ……へへへへ!」
光一つない夜闇の中で、一息つく。心臓の鼓動が収まると、代わりにどうしようもない高揚感がわきあがってきた。
高揚感? いや充足感か……いや、いやいやいや。
きっと、こいつは幸せってヤツだ。今俺は、最高に幸せを感じているのだ。
(やったぜ……へへへ、やってやった! これで五人目……ちょろいもんだ、はははは!)
心の中で、栄誉ある自分の行為に乾杯。暗い達成感が、麻薬のように全身を犯していく。
一人目は、偶然だった。そんな気はなかったが、やってみたら気持ちよかった。
二人目は、故意だった。一人やったら二人も同じだと思ったし、どうせだったら捕まる前にやりたい事をやってみたかった。そしたらやっぱり、一人目より気持ちよかった。
三人目からは、完全にクセになっていた。もう、やめられなかった。俺好みのを完全に狙って、ひたすら楽しんで楽しんで骨の髄までしゃぶり尽くした。
「は、は……はは、はははははは!」
誰も聞いてない――いや、誰かが聞いていても構うものか。
夜中だってのに、まだまだ街の光は消えない。いや、むしろ昼よりずっと明るい。
そう、ここはそんな場所だ。昼よりも明るい夜、光よりもまばゆい闇。その吐き気のするような眩しさは、人の心の影を鮮やか過ぎるぐらいに照らし出す。
ここに住んでいるヤツラは、みんなクズばかりだ。こんなに街は明るくて、どんなものでも見えるってのに、それを見ようともしない。だったら何のための明かりなんだかわからないが、まぁそれは俺が考える事じゃないな。
ともかくだ。この辺りには、他人に関心を持つような上等な人間なんていやしない。街中でもそうなのに、こんな路地裏にまで興味を持ってくださる奇特な方は町中探してもいらっしゃらないだろう。
そうだ。ここは、クソどもの掃き溜めだ。
ただし、俺みたいなドクソには、それが最高だ。
ここは、人でなしの天国なんだ。
(ふ、ふふふ! それにしても今日のガキも……ああぁ。さ、最高だったなぁ……!)
ネオンの輝きが目に焼きついて、軽くトリップしそうになった。
今も手に残るあの感触を反芻するだけで、絶頂さえ覚えそうになる。
あの柔らかく未成熟な、穢れなんて言葉さえ知らないような白い肌。そんな綺麗な薄皮の中にある、蕩けそうなぐらいにジューシィな果肉。そいつを抉って、無理矢理に引きずり出して俺のモノにするんだ……
この、この圧倒的な興奮ときたら!
「あ、あああぁ……あ、あ……」
甘い記憶を反芻しているうち、俺はまた勃起していた。いや、気付いたら射精さえしていた。あんなに出した後なのに、笑っちまうぐらいの量がズボンの中で溢れてた。
もう、イカれちまってる。
(ま、またやりてえなぁ……へへへへ! 今日の子も可愛かったけど、もっと小っちぇのがいいんだよな……ふへへへへ!)
少し前までは、そうじゃなかった。そこそこ真面目に働いて、そこそこ真面目な人間だった。大多数の人間同様、褒められる人種じゃないだろうが、悪い人間ってわけじゃなかった。
それが、今じゃコレだ。
人間、堕ちはじめるとどうしようもないって思う。
まぁ、誰もがそうだってわけじゃないだろう。多分、まともなやつだっている。一握りだろうが、褒められる人種だってな。実際、父親も母親も兄貴も、けっこう立派な人間だと思うしな。
でも、しょうがないじゃないか。
だって、俺は人でなしなんだから――。
「いいわ……くすくす。すごくいい匂い……」
「! だ、誰だッ!」
突然、耳元で囁く声がした。俺は咄嗟にポケットに手を突っ込み、辺りを伺う。
だが、俺の近くには誰もいなかったはずだ。気が緩んでても、周囲に気は払っている。
クズでも寝ぼけちゃいない。優秀なのは親譲りだ、だから今までやってこられたんだ。
なのに、その女の声は、俺のすぐ側から聞こえてきていた。
「あらぁ、誰だっていいじゃない。今までも、そんなの気にした事なかったでしょ?」
いやに耳に残る。鈴を転がしたような、綺麗すぎる少女の声。
どこから聞こえてくるんだ? 頭に、身体に、心に、そのまま響いてくる。
まるで、この路地裏の闇――辺りを包む影そのものに話しかけられているような様な錯覚を覚える。
だが、それは俺の気のせいだったのだろう。
なぜなら声の主は、俺の目の前に、その姿を現していたのだから。
「こんばんわぁ。今日はいい夜よねぇ……ウキウキしちゃうのもわかるわ、うふふふ!」
ゾッとするほど冷たい声で喋りながら、そいつは俺の前でくるくると身を翻して踊っていた。
ゴスロリとか言うのか? 真っ黒でヒラヒラしたドレスのスカートが、風をまとって優雅に翻る。スカートの裾から覗く脚線は、この闇の中でも一目でわかるぐらいに白く、見とれてしまうぐらいに艶かしかった。
「あ……」
そうだ。
俺は、見惚れてしまっていたのだ。自分の意識を忘れてしまうぐらいに、その少女は可憐すぎたから。
今までの獲物なんて、どれもこれもこいつに比べたら豚以下だ。
(す、すげえ……)
心臓が、脈を打つのを忘れていた。
野良犬みたいに腐りきった俺の感性だが、餓えているからこそ獲物に対する嗅覚は半端じゃない。
こいつは、本物だ。
本物の、芸術品だ。
「ふふっ……くすくすくす……」
優雅なドレス姿に相応しい、どこかのお姫様みたいに気品ある美貌。
何も知らない子供のように無垢で、だけどそれは子供らしく大人しくて弱弱しいって事じゃない。
何も知らない子供だからこその、自分の身の程をわきまえない、そもそもそんな概念さえ知らない純真無垢な傲慢さ。
本物のお姫様ってのは、きっとこういうものなんだ。
無為のうちに他者の上に立って、生まれながらに下賎なものを見下してる。
息を吐いて吸うのと同じぐらい簡単に、なんでも自分の思い通りになると思ってやがる。
何でもかんでも、自分色に塗りつぶせると思ったやがる!
「うふふ……ふふふ!」
上目遣いで見上げられてるのに、ゴミみたいに見下げられてる。
こいつは、本物だ。
純粋すぎる。
たった一人で世界と対等なぐらい、自己完結している。
(最高だ……最高じゃねえか。夢みたいだ、これこそ理想……俺が求めてた、理想の少女だ!)
大人の女はつまらねえ。
薄汚れてやがるんだ。色んなものに薄汚れて、存在価値さえ感じない。
やっぱりガキだ。
純粋な、まじりっけのない、純真無垢な子供が、一番いい。
だけど俺は、今知った。
真の純粋とは混じりけのない白ではなく、何者に混じっても移ろわない黒なのだと理解させられた。
こいつは、完璧だった。
完璧に純粋な、無垢なまま完成された本物の少女だった。
(や、やりてえ……。こいつ……俺のモノにしたい……!)
ふつふつと湧き上がる、黒い欲望。
だがそのシーンを想像することを、俺はしなかった。
この完璧な少女の存在を冒涜するみたいで、できなかったのだ(俺の想像力がゴミだってのもあるかもしれん)。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
とにかく俺は、もう自分を抑えられなくなっていた。
だが、だが――!
(な、何だ……この感覚……)
ドキドキと胸が高鳴るのと同時、ゾクリと悪寒が走り抜ける。
恐怖、焦燥、絶望感――こんな感覚――いや、感情か――久しぶりだった。
この街には、見た目がおかしいヤツなんて腐るほどいる。
見た目はまともでも、頭がおかしいヤツはそれ以上だ(例えば俺とかな)。
だが、この女みたいにおかしいヤツは、そうはいない。
だって、だってそうだろう?
こんな――
「うふふふ……流石ねぇ。わたしを一目見て、わかっちゃうんだ……」
ガキみたいに狼狽する俺を見て、そいつはゾクリとするほど蠱惑的な笑みを浮かべた。
あまりに無垢で可憐すぎて、それだけで魂を抜かれちまいそうな、悪魔みたいな笑みだった。
「ふふふっ、嬉しい♪」
ぺろり、とちっちゃなべろを出して舌なめずりする。
見た目どおりに子供らしい仕草はたまらなくコケティッシュなのに、唾液に濡れて光る唇の色はゾクゾクするぐらい扇情的で、赤い瞳の輝きは血のように美しかった。
「う、あ……」
可愛い、可愛すぎる。
こんなのありえねえ。ああ、夢でもありえねえよ!
完璧だ。あまりに完璧すぎる美。
それも、例えばアイドルだのなんだのみたいな、明るく人々を引き付けるまとまなものじゃない。
俺みたいな人でなしをどうしようもなく虜にする、背徳的な魅力の結晶。
見れば見るほど可憐過ぎて、絶頂しそうになっちまう。
「ふふふ……ふふふふ!」
ひらひらとフリルを揺らして、病的なまでに白い太ももをちらつかせる。
赤い瞳をうるうると潤ませて、 上目遣いに俺を見つめて微笑む。
やめろ、やめてくれ。
そんな目で見られたら、おかしくなっちまう!
「あ、あ……ひ、ひぃいぃっ!」
可憐な暗黒の少女にたまらなく引きつけられながら、しかし俺があげたのは情けない悲鳴だった。
笑っちまうぐらいのへっぴり腰で、逃げ場のない路地へと後ずさってしまう。
「く、来るな……来るなぁ!」
こいつは、最高だ。
最高に可愛い。最高に綺麗だ。最高に魅力的だ。
もっと近くにいきたい、隅々までよく見たい、息を吸いたい、匂いも嗅ぎたい、触れたい触れたい触りまくりたい
今までしてきたみたいに――もう何もかもめちゃくちゃにしてやりたい!
けど、けどわかってる。本能的にわかってしまっている。
それは、無理だ。
なぜなら、こいつの美は、人間に許されたものじゃ、ないから。
言ってみれば、それはそう――俺が今、本能的にポケットから取り出したものに近い美しさ。
「お前……な、何だ。一体……」
「あら? あらあら物騒ねぇ、そんなモノ取り出して……ふふふ!」
そいつは、俺の手にしたものを見ても微動だにせず、それどころか笑っていた。
「うふ、うふふふふ!」
超然と。
赤い目を爛々と光らせて。
子供らしく上目遣いに見上げてるくせに、俺を――いや、自分以外の存在すべてを見下して。
まるで神のように傲慢に、そして不遜に笑っていた。
「あなた、いい趣味してるわよ。わたしも大好きなのよ……それ。真っ赤に光って、すっごく綺麗じゃない? まだ新鮮で暖かい、流れたばかりの……」
血よりも赤いその瞳が、ニタァっと邪悪に歪む。
それだけで、絶頂しちまいそうな笑みだった。
「人の血って……あは、あははははは、あはははははははははははははァ!」
「ひっ!」
突如、狂ったように笑い始めた。それだけで、俺の心は恐怖に囚われた。
その視線は、俺が手にしたナイフに向けられていた。
人を殺すのに、なにも大層なものはいらない。
命は大切にしなくちゃいけないとかなんだかとか、色々と言われてるがそれもわかる。
本当に、人の命なんてあっけなく消えちまうものだからな。
こいつ一本で、もう何人も殺してきた。
「く、来るな! 来るんじゃねえ、そ、それ以上近づいたら、こ、殺すぞ!」
こんな事言ってる時点で下の下だ。
経験上、まず刺してから言うべき台詞だ。
でもしょうがねえだろうが! こ、こんな相手……
人でなしの俺でも、本当の人でなしを相手にした事なんてねぇんだよぉ!
「う、うわああああああああああああ!」
俺は泣いていた。
ガキみたいに泣き喚きながら、めちゃくちゃにナイフを振り回してそいつに突きかかっていた。
笑っちまうぐらい惨めな俺の抵抗に対して、その女は、
「なるほど……そうするか。そうよね、死にたくないもんね……そこで、お前はわたしは抗うか……ふ、ふふふ!」
当たり前だが、少しもビビってなかった。
虫かごの中で暴れる足のもげた虫を見るみたいに、ほんの少しの興味だけで俺の命を弄んでいた。
その様を見て、 俺の魂はそいつに惚れ直した。
「死ね! 死ね、死ね!」
だが、救いようもないぐらいクズな俺の思考は、は自分のゴミクズみたいな命を守ろうとしてしまっていた。
良心の呵責なんて、あるわけもなかった。
正直言おう。初めて人を殺した時は当然として、今だって殺人のたびに感じる。
女を殺すのは楽しいけど、心が痛まないわけはないんだ。
だって、相手は人間なんだぜ? もちろんそれが楽しいんだが、俺だって人間なんだ。少しだけある人間性が、少しは痛むんだ(それが気持ちいいわけだが)。
だけど、今は違った。
「死ねよ! 死ねよバケモノ……うわぁ、あああああ!」
殺意と言うものさえもてない。
ただ恐怖から逃れたくて、俺はその女を――いや。
女の姿をした何かを、何度も何度もナイフで貫いた。
手ごたえはあった。衣服が裂け、皮が破れ、肉に刃が食い込む。その感触自体は蕩けるほどに甘美だったが、しかしその度冷や汗が溢れてくる。
「ふふ、うふふふふ! 必死になっちゃって、可愛いんだぁ……あははは!」
「う、うわ……うわあ、うわああああ!」
なぜなら、その女は、ずっと笑い続けていたからだ。
それも、俺を見て、俺がおかしくて笑っているんじゃない。
「無駄だってわかってるのに。そんなに一生懸命になっちゃって。本当、人間って面白いわぁ……んふふふ!」
こいつは、俺たちを――
人間と言う種そのものを見下して、傲慢に笑っていたのだ。
「ひぃっ! ひぃっ! ひぃぃぃぃい――!」
返り血で手が染まる。
溢れる血は赤色だったのが救いだ。めちゃくちゃ綺麗な、闇のように赤い血だった。
「あーあ、わたしの身体をこんなに傷だらけにして……ふふふふ! どう? 面白い? 気持ちいい? あなた、こういうのが好きなんでしょう?」
ああ、大好きだ。
大好きだ大好きだ大好きだ大好きだ大好きだ大好き大好きだ大好きだ大好き大好きだ大好きだ大好きだ大好きだ大好きだ大好きだ大好きだ大好きだ大好きだ大好きだ大好きだ大好きだ大好きだ大好きだ大好きだ最高に面白くて気持ちいい。
俺は夢中になって、そいつの身体にナイフを突き刺し続けた。
恐怖から逃れながら、快楽に溺れていた。
だが――
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁぁぁ……う、あ、あああ……!」
そうして、どれだけ時間が経ったのかわからない。
いつしか、俺の腕は動かなくなっていた。
何かわけのわからない、真っ黒な塊みたいなものに絡みつかれて動けなくなっていた。
「な、何だよ……何だよこれ! 離せよ……も、もっとやりてえんだ、もっと、もっと、もっと!」
やっぱり、俺は人でなしだな。
自分の命可愛さでこいつを殺す事より、いつしか欲望を優先していたみたいだ。
「やらせろぉ……もっとだ、もっとめちゃくちゃにさせろ! お、お前……何笑ってやがるんだぁぁぁ!」
嘘だ。
もっと笑ってくれ。
もっと俺を蔑んでくれ。
どうしようもない人でなしの俺を、気にかけてください。
「ふふふ……面白いわねえ。それがあなたの欲望? それとも……幸福、かなぁ」
『幸福』 、そう口にした時、こいつは完全に俺の事を無視していた。
何かもっと別の、もっと大事な事を、真面目に気にかけていたみたいだ。
ナイフで身体を穴だらけにされても、そんなの他人事といわんばかりに無関心なこいつらしくもない。
俺は思わず、こいつの意中の人(人なのか?)に嫉妬してしまう。
「く、くそ……聞けよ! お前、なんなんだよ!」
「ふふふ……そうね。わたしが幸せをあげるのも……んふふふふ! 面白いわよねぇ……ねえママ、おねえちゃん?」
そんな俺の考えなんて全然意に介せず、こいつは一人で話を進めていた。
それでまた惚れ直して、俺は嫉妬と恍惚の中射精した。
「んふふふ、あなた元気ねぇ……いいわ。いいわよ」
「え……」
俺の事なんて少しも気にかけてない。
自分の思いつきだけで、こいつは俺に声をかけてくれた。
「今日は気分がいいの……だから遊んであげる。あなたを、幸せにしてあげる♪」
ああ、チクショウ。
なんて最高の笑顔なんだ。
俺を、ゴミとしかおもってねえ。
|